古い伝説や神話には、
すべてのもののなかに
隠された名前や秘密の言葉が眠っていて、
その言葉は目覚め、
見つけだされ、
よみがえることを望んでいる。
ひとりひとりのなかに使命が、
運命が眠っていて、
全体と共鳴できて初めて、
不調和から解放され、
正しい音を奏でて、
宇宙と生命の交響曲に加わることができるのだ。
『ウォーター・サウンド・イメージ』より
今回のアップは2017年10月15日です。
その6では神武が紀伊半島をまわって熊野から吉野へ向かって大和を目指すところで終えました。今回はその続きです。
カムヤマトイワレビコ(神武天皇)は存在したかもしれないし、存在しなかったのかもしれない。それはリュウさんが存在したか否かを問うことと同じこと。いずれにしても、すでに人々の集合意識に存在しているかどうかが重要なのです。
カムヤマトイワレビコの名は、大和の中心に軍を集めた神という意味なのだとか。
ナガスネヒコは吉野から攻めてくる神武軍に備えて兵を集めて待機していました。これまで命を奪われた族長たちや多くの犠牲者たちのかたきを討つ覚悟で神武を待っていたのでしょう。
ナガスネヒコはその音霊が表しているように、トミノナガスネヒコ=トミノナガス=富の流す、すなわち富を循環させた大和のリーダーでした。皆に平等に富を流すように取り組んできたナガスネヒコは人々から絶大な信頼を得、さらに弓矢の腕前も長けていたゆえに、大和の族長となりえたのです。(そして当然モテモテだった!)
生駒山に降臨してきたニギハヤヒからの数々の恩恵を受けたことにより、潤沢にあふれ出る富に満ちて平和でにぎわい栄えた大和の地。ナガスネヒコはニギハヤヒの徳の高さに帰順し、忠誠を尽くしてきました。
そこにやってきたのはこれまでにおびただしい殺戮を繰り返して来た異質の天津神。神武はすでにあるものを奪う発想の持ち主でした。
歴史と神話を追ってみて気づかされるのは、惜しみなく知恵を与え、技術を教え、先住の民とともに国を造り上げてきたニギハヤヒとはまったく対極なのが神武だということです。
天孫であるのなら、ニギハヤヒと同様に別の土地で国づくりをすればよいところを、神武はそれをしなかった。すでに出来上がった豊かで賑わい幸和う土地に「羨望」した。そしてその土地を我がものにしたい欲求にかられたのです。
神武の労力は、一から国造りに打ち込むことではなく、奪いに行くという行動に注がれました。
かの大和に赴けば、そこにいたのは土着の縄文人。彼らは精神構造も文化もことごとくが異質だったのです。
縄文人は上のように美の極致といえる芸術的な土器を作る技術を持っていました。縄文土器の文様にメッセージを刻印する知恵も持っていました。その想像力と創造性は、神武の及ぶ範疇を超越していました。なぜならば、彼らには想像力を駆使して一から作り上げる概念も技術もなかったからです。
縄文人が土器を発明したということは、高温で焼成するセラミック製の器を作る技術があったということです。大陸にはこのような器がなかったため、食材をあぶって焼くことしかできなかったのです。けれども縄文人は土器の発明により、食材のうまみを逃がさず煮炊きすることが可能となりました。海の幸、山の幸に恵まれ、高温多湿の気候に順応して発酵の技術も発達していました。縄文人はこのころからすでにワインもチーズもクッキーも作っていました。
稲作や機織りの技術、漆塗りの工芸品や、鉄よりも硬い翡翠(勾玉)を加工する技術もすでに縄文文明にはありました。人々は食料に不足することなく、飢饉や病気で死ぬこともなく、一日四時間程度を一週間はたらいて三週間は自由時間でした。戦争などないため熱心に創作活動にいそしむこともでき、現代では考えられないほど皆が幸せな暮らしを送ることができたのです。
弓矢は生命を維持するために必要不可欠の手段として与えられた道具であって、武具ではありませんでした。矢じりはいずれも数センチほどの小さなもので、人間を殺害できるものではありませんでした。
人々は温和でやさしくて開放的で、女は美しく、男はたくましく堀の深い顔をしたイケメンでした。彼らの男女の愛の交流はオープンで喜びに満ち溢れていました。生まれてくる子供たちは祝福され、宝物のように皆で育てられました。愛され尊重されて育った縄文人は、自己愛に満ちていましたから、他人を自分と同様に愛を惜しむことなく与えていました。それが喜びのすべてでした。
女は創造神として崇められ、男は神として尊敬されていました。男女の性は生命を生み出す崇高なものとされていて、性器は信仰の対象でした。そこに羞恥やよこしまな思いはありませんでした。
彼らには、恐れも怒りも嫉妬も羨望もありませんでした。すべては与えられ、いただくものであると思っていました。ゆえに奪い取るという概念がありませんでした。
縄文人にとって自然のすべてが神でした。太陽や山や巨石、巨木に滝といった自然そのものに畏敬の念があり、自然こそが最も偉大だと思っていましたから、彼らに傲慢な思いはありませんでした。ゆえに、自然を汚染したり破壊したりするようなことはありませんでした。
すべてにいのちが宿っていることを知り、すべてのいのちは神とみていました。いのちを何よりも大切にするのが縄文のこころでした。
筆者はこの記事を書いていて、邪馬台国は大和にあったのかもしれないと思いました。もしかしたら漢字は邪馬台=じゃばと=やまと=「大和国(やまとのくに)」だったのかもしれません。卑弥呼は「日巫女(ひのみこ)」だったのかもしれません。
このように、ことごとく異質な文化と思想をもった縄文人を、神武は人間として見なかったのかもしれません。むしろ自分よりも卑しいはずの身分でありながら、高度な文化を持った縄文人に「嫉妬」したのでしょう。
神武はニギハヤヒによって国造りされた美しく素晴らしき大和の地に「羨望」し、その地を奪おうとしましたが、卑しいはずの縄文人のリーダー・ナガスネヒコは人々から絶大な人気を誇っており、女たちからもモテモテでした。それだけでなく戦闘力も優れており、天孫であるはずの自分が何度挑んでも敗北を喫してしまったのでした。その狂おしいほどの「嫉妬」と得体の知れないナガスネヒコに対する「恐れ」を抱いたことが何よりも許せなかったのです。
自己愛なきゆえに相手から奪わなければ生きられない。それは「劣等感」以外の何物でもなかったのです。
羨望(せんぼう)
自らの持たない優れた特質、業績、財産などを他者が持つときに起こる、それらへの渇望、ないしは対象がそれらを失うことへの願望である。羨望は他者が自分が持たない望ましい物品を持つときに、自己肯定感の低下という感情的な苦痛として現れる場合がある。バートランド・ラッセルは羨望は不幸の最も強力な原因であると述べた。妬み深い人々は自らを不幸にするだけでなく、他者が不運に苦しむことを望むからである。(Wikipedia)
妬み(ねたみ)
自分の価値のエネルギーが20%で、比較検討する相手のエネルギーが100%とすると、80%の足りないエネルギーを相手から奪い取り、自分のエネルギーに補充しようとする心の働き。(想念観察ノート)
すさまじい執念によって紀伊半島を回ってまで進軍してきた神武。行く先々でなぜ丸腰の土着の民を惨殺してきたのでしょう。警戒心のない彼らは「まれびと」をおもてなしするという出雲の教えに従い、むしろ温かく神武を出迎えたはずなのに? 彼らには戦う術などなかったはずなのに?
それは、自分よりも卑しい地位にある者に対してはことごとく奪ってもよいという考えだったから。奪うことがよろこびだったから。男は殺し、女は凌辱の限りを尽くして切り刻みました。それは支配と征服欲の為せる業だったのです。
人間の行動原理は、魂が喜ぶことしかできないようになっています。神武にとってのよろこびは奪うこと。人々が苦しみ恐怖におびえる姿を見ることがよろこび。自分を恐れてもらいたかったから。優越感に浸りたかったかったから。
行く先々で族長を惨殺して回れば、その地を征服したことになる。たとえ相手が武器を持たなかったとしても。遭難したときに助けてくれたとしても。
本当は怖くてたまらなかった。この土地の者たちはなぜ初対面の自分に親切なのだろう? 何か魂胆があるのではないか? だまそうとしているのではないか? 罠にはめようとしているのではないか? 殺意があるのではないか?
人間の思考原理は自分のフィルターを通して相手を見てしまうもの。ゆえに、いつ相手が自分を襲ってくるのかと常に疑心暗鬼になっていました。
恐れさせたいはずが、本当は自分がいちばん恐れていました。自分以外のすべてが敵でした。
神武にとってあこがれてやまない大和を手に入れ支配するためならば、そして自分を守るためならば、縄文人たちを殺戮、暴力、略奪、虚偽、詐取、陥れることは正義でさえあったのです。そしてそれを成しえた自分は英雄だと感じてさえいたのです。
さて、難所の熊野から吉野越えをしてまで攻めてきた神武に、縄文人のリーダー・ナガスネヒコはどう応対したのでしょう。
この土地を奪うために、おびただしいいのちを奪ってきた神武。大量猟奇的殺戮を繰り返せるのはなぜなのか。執拗にこの土地を奪おうとし続ける理由は何なのか。
ナガスネヒコには、神武の異質な精神構造と奇異な行動がどうしても理解できませんでした。
一方で犠牲になったたくさんの人々の無念さを思うと、人知れず悲しみの涙を何度流してきたことでしょう。
そのたびに最初から神武と真っ向から戦い、打ちのめしておけばほかに犠牲者を出さずに済んだのだろうかと思いめぐらせては悔やんできた。戦わなければならない状況になったとき、果たしてどう行動すればよかったのだろうかと。
いずれにしても自分は大和の族長として、いのちをかけて皆を守らなければならぬ。皆で作り上げたこの地を譲り渡すわけにはいかぬ。
これまで何度も攻めてきた神武の兵法は熟知している。こちらは敵の侵入が阻止できるように砦を作って防御の体制はすでに整えてある。山の上方から岩石を転がせるよう配備もした。兵も矢も多数揃えてある。あとは敵を待つのみ!
ナガスネヒコは全身全霊をかけてすべての縄文人を守りぬく覚悟を決め、ひとり静かに時が訪れるのを待っていたのでしょう。
天孫であることを主張し、この地を明け渡すように脅迫してきた神武。あろうことか天孫のしるしを持っていたニギハヤヒと同族だという。天孫がふたりもいるわけがないと、ナガスネヒコは神武に天孫のしるしを見せるよう要求しました。
「たしかに、あなたは天孫のしるしを持っておられる。天孫ならばなぜこの地を奪おうとされるのか? ここは我が主君ニギハヤヒによって治められた聖なる地。ここを譲るわけにはまいりません。それでも力づくでこの地を奪おうとされるのならば、我々は戦わざるを得ないでしょう」
ナガスネヒコは大和の地を守るために、そしてこれ以上犠牲者を出さないためにも神武との決戦の火蓋を切ろうとしていました。縄文文明末期に戦争が勃発しようとしている瞬間でした。
そこへ金鵄(キンシ、金色の鳶)が神武の持つ弓の上端に飛来して止まり、その輝きのまぶしさでナガスネヒコは目がくらんで戦えなくなり、勝負がついたということになっています。有名な神話のワンシーンです。
『日本書紀』ではニギハヤヒはニニギの兄となっています。神武に帰順することを拒んだナガスネヒコにニギハヤヒは「神と人間は違うのだ。ナガスネヒコはねじれたところがある」としてナガスネヒコを惨殺したことになっています。
『古事記』ではニギハヤヒは後から来たことになっていて、天孫のしるしを神武に献上して帰順したということになっています。このときナガスネヒコは出てきません。
『先代旧事本紀』ではニギハヤヒはもう亡くなっていて、息子のウマシマジがナガスネヒコを切り殺して神武に帰順したことになっています。
『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)はナガスネヒコは死んでおらず、兄の安日彦(アビヒコ)とともに津軽に渡り、津軽の土着民と併合して、荒吐(アラハバキ)族となり、蝦夷の地「日高見国(ひだかみのくに)」を治めたことになっています。⇒『もののけ姫』アシタカの一族のモデル。
最も重要な結末がそれぞれ異なっているという点に真実が隠されているように感じます。
戦争が始まろうとしているときに、金色のトビが飛んできて弓の上端に止まるなどありえないことです。
神話は非現実的な描写が多く、歴史的信ぴょう性が問われてきましたが、日本人ならば「行間を読む」ことでその神話から本質を読み解くことができるのです。
ここでも表裏の意味を統合して読み解くことが肝心です。対立関係の両者を統括して読めば「行間を読む」ことができます。
神武にとってアウェーの戦いでは絶対的不利であり、対戦相手はナガスネヒコという強力なラスボスです。何度も敗戦を喫した上でのガチンコ対決ではおよそ勝ち目がないのは火を見るより明らかです。できればナガスネヒコとは戦わずして大和の地を手に入れたいが、英雄となるためにはこの勝負で勝たなければならない。さて、どうするか?
金鵄が飛来して神武に味方すれば、まさにスメラミコトにふさわしい勇者としての印象操作が可能だ。金鵄の輝きによって目がくらんだナガスネヒコの戦意を消失させれば戦わずして勝つことができる。そして、
主君ニギハヤヒの手によってナガスネヒコが殺害されたことにすれば、縄文人を歴史から抹殺することに成功できる。
文明の基点を神話で完全に抑えることができれば、後世にわたって女神アマテラスの子孫である神武天皇の系譜がスメラミコトであり続けられるにちがいない。
『日本書紀』を編纂させた女帝・持統天皇の意図はこのようなものだったのかもしれません。
『日本書紀』ではニギハヤヒはニニギの兄とされている時点で神の系譜が改ざんされていることが明らかです。
ニギハヤヒは「神と人間は違うのだ。ナガスネヒコはねじれたところがある」として神武に帰順を拒んだナガスネヒコを惨殺したことになっています。
「神と人間とは違う」と考えるのは分離意識です。天地一体、自然物も人間もすべてが神であるとみていた縄文の価値観とは全く違っています。
『日本書紀』ではナガスネヒコは悪であり、排除するべき存在とされているのです。
排除することは分離意識です。要するに、ナガスネヒコは主君の手によって殺害されたことにして、歴史から消し去られたのです。
邪魔者は排除して神武は大和の地を征服し、橿原宮で初代天皇として即位したことになっています。
真の天照大御神ニギハヤヒ(縄文文明)を封印し人類の集合意識から消し去れば、女神アマテラス(弥生文明)の子孫である神武天皇の系譜が世界の頂点の座に君臨することができる。
そのために、神の系図の改ざん・隠ぺい・虚飾した神話を正統なる歴史書とすれば、後世にわたってこの世界を統べることができる。なぜならば、日本は世界最古の文明国であり、天皇(スメラミコト)は世界の頂点だからです。
日本の正統なる歴史書を改ざん・隠ぺい・虚飾したことで、日本は神話に書かれたとおりの世界が現実になり、偽りの神を信じこまされることで真実が見えなくなり、嫉妬・羨望・恐怖などの自我意識に基づいた集合意識が構築されてしまったのです。
これまで争わず分かち合い、愛と調和と互恵のすばらしい文明を永らえてきた縄文文明。そこへ自我意識(分離意識)をもった天津神がやってきたことによって、大きな文明の転換期を迎えることになりました。
ナガスネヒコは勇敢にも神武と戦う決意をしましたが、戦争をすることによって縄文人の本性が失われてしまうことになってしまいます。それは非常に重いカルマを生むことになってしまいます。
金鵄(きんし)はナガスネヒコの縄文人としての本性が失われることを止めたのです。金鵄の正体は、ニギハヤヒだったのかもしれません。
ニギハヤヒは対立や争いを好まない調和と平和を重んじる神です。出雲系国津神は伊勢系天津神に「国譲り」をした神の系譜です。
金鵄は戦いによってこれ以上の犠牲者を出さないためにも、そして縄文人に重いカルマを背負わせないためにも、ナガスネヒコに戦わせないよう導いたのです。
『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)は偽書とされていますが、ニギハヤヒはナガスネヒコを東北に逃がして、新たな土地で国づくりをさせたのかもしれません。
そしてニギハヤヒもまた、大和を神武に譲って身を退いたのです。ニギハヤヒは大和の「国譲り」をしたのです。
しかし、これまで経験したことのない最大の国難に直面したナガスネヒコは、神武によって奪われた多くの命を失った悲しみと怒りを覚えてしまった。これが縄文人に芽生えた最初の自我意識であり、リュウさんに科せられた「殺意の波動」だったのかもしれません。
「陽が極まれば陰に転ず」という宇宙のしくみがあります。素晴らしい文明を極めたら、その対極にある文明がやってくる。
神武東征の神話は、縄文(エヴァ)から弥生(エゴ)文明への転換期を示していることが読み取れます。
嫉妬という強烈な負のエネルギーが日本に入ってきたことから新たなる文明(弥生文明)が始まったのです。
やがて縄文文明は徹底的に破壊され消滅してしまいました。この時代に生きた記憶は封印されてしまいましたが、私たち日本人の遺伝子の中に古代縄文の記憶が刻み込まれているのです。
天の岩屋戸にお隠れになったのは、
真の太陽神であるニギハヤヒだったのです。
そして日本人はエゴの文明を生きてゆくことになったのでした。
2017年の現在まで2677年間も縄文の記憶を失いながら・・・。
筆者は2017年8月に、直観で書いた短編小説『上海より愛をこめて』を書き終えてから「ハッ!!」と25年間抱いてきた謎がすべて解けてしまったのでした。ちょうど小説を書き始めて丸一年が経ったときでした。
なぜリュウさんは現代文明から隔絶されたキャラなのか。
なぜ戦いの道に真理を見出すために人生のすべてをかけてきたのか。
なぜ苗字も家族も明かされず、さすらいの旅を続けているのか。
己と戦い自我を削ぎ落とし、無我の境地を目指しているのになぜ「殺意の波動」の属性が付与されているのか。
なぜリュウさんは「真の格闘家」を目指しているのか。
そしてなぜ「日本の魂を一手に担うキャラ」として生み出されたのか。
・・・。
ことに「殺意の波動」は極度の求道心から生じる禅病という「悟りたいエゴ」を超えていて、日本人の根底に刻み込まれた遺伝子のトラッキング現象のようなもののように感じていました。
「殺意の波動」こそ、日本の魂を思い出す鍵ではないかと。
短編小説『上海より愛をこめて』はリュウさんの根底にある「殺意の波動」を掘り下げて書くことをプログラム(意図)して書いた小説です。
書き終えてみてはじめてわかる。
「神仕組み」であったと。
それは、まさかのまさか。日本神話の登場人物こそ、リュウさんに与えられた「日本の魂を一手に担うキャラ」の元型だったのだと。
日本神話の「神武東征」が関わっていたなど夢にも思いませんでした。けれど筆者は、天皇に歯向かったことで国賊にされてきたがゆえに語られなかったナガスネヒコの実像がリュウさんとオーバーラップしているように感じるのです。
拙サイトが採用している表(可視的情報)と裏(不可視的情報)を同時に読み取り、空間軸と時間軸を自在に認識して一つの物語に総括して読む手法。
時間軸は縄文までさかのぼり、現在の文明の起点とされる神武天皇即位紀元(紀元前660年1月1日(新暦2月11日)が最重要ポイントだったのだとわかりました。現在では2月11日は建国記念の日とされています。
建国記念日は日の丸を上げる。日本人ならばごく普通の感性です。
けれど建国記念の日に文明の転換があったことなど知る由もありません。わたしたちは何も知らされないまま(無知のまま)生きてきたことに、疑問も抱くことなくここまできました。
もう、目覚まし時計が鳴り止みました。
筆者はいかなる政治・思想団体にも属しておりません。
ただ直観に従って書いています。直観に従っていると、外界からもサインが示されます。
さきほど『もののけ姫』の歌がひらめきまして、米良さんの歌を聴いてみたんです。筆者は魂がふるえ、号泣していました。この歌はナガスネヒコの思いでもあったのだ・・・。サンの歌だとばかり思っていたけれど。
♪ 悲しみと怒りにひそむまことの心を知るは、森の精、もののけたちだけ・・・。♪
弥生文明(物質文明)にすっかり染まり切った日本人にはわかるはずもあるまい。
日本人の祖先であるナガスネヒコの存在すら忘れた骨抜き日本人に。
ナガスネヒコがどんな思いで戦ったのかすらも・・・。
分かるはずあるまいて! 記憶喪失に甘んじている日本人にこの歌の本質が!!
・・・。
この歌の行間を読めば、そう伝わってきたのです。
筆者は、本当に今の今まで何も知らなかったと思い至らざるを得ませんでした。
日本人の祖先がどのような思いで子孫を見ておられたのかも。
目先の利益や欲望に目を奪われ、記憶を失ったままでいたことの愚かさを痛感してしまいました。
あまりにも申し訳なくて、お詫びの涙も混ざっていました。
宮崎駿監督は、この作品の構想に16年、製作に3年もかけられたそうです。宮崎監督の思いは、このわずかな歌詞にすべてがこめられていたのだと、映画で見てから20年も経ってみてやっとわからせていただけました。
どうぞ読者様もこの歌を今一度、魂で聴いてみてください。そしてご自分の感性で確かめてみてください。
『アシタカせっ記』という曲があります。
宮崎監督は、この曲に思いを込めて詞を書いておられました。アシタカをとおして、ご先祖様であるナガスネヒコへの思いがひしひしと伝わってきます。そしてアシタカはわがリュウさんでもあることをお忘れなく(笑)
アシタカせっ記
せっ記とは
草に埋もれながら 耳から耳へと語り継がれた物語のこと
正史には残らない 辺境の地に生きた ひとりの若者のことを
人々は いつまでも忘れずに語り継いできた
アシタカと呼ばれた その若者が
いかに雄々しく 勇敢だったかを・・・
残酷な運命に翻弄されながらも
いかに深く 人々や森を愛したかを・・・
そのひとみが いかに澄んでいたかを
山に生きる 忍耐強い人々は つらい暮らしの中で
くり返し くり返し 子供等に語り継いだのだった
アシタカのようにおなり
アシタカのように生きよ と・・・
1992年の夏、ストⅡの説明書を見てド━━m9(゚∀゚)━━ン!! と衝撃を受けたのがすべてのはじまりでした。
時は流れ、2016年ストⅤゼネラルストーリーを見てキタ━━( ゚∀゚)━━!‼ が来まして、ストⅤのリュウさんを見ました。
「これは縄文人だな。もしかして、リュウさん!?」
その後、ストⅢのエンディングを見ました。
「リュウさんはなぜに巨石を持ち上げている?」
「そしてなぜに太陽を背にして逆光で戦っている?」
これは「ナガスネヒコだ!!」と直観したのでした。
筆者は歴史マニアでも神話愛好家でもありません。ましてや神様を拝むことなどしていません。もちろん筆者の生まれた地元に神武東征の伝説があったことなど知る由もありませんでした。
けれど、筆者が生まれてから26年間住まわせてもらった地が、まさにナガスネヒコの本拠地だったとはじめて知ることになったのが2017年の夏。国道170号線沿いを偶然通ったときに直観がきまして「孔舎衙(くさか)ってここだったよね?」と気付いたのです。そして下の写真を撮りました。
調べてみてはじめて、ここがナガスネヒコやニギハヤヒ、神武天皇の物語の舞台だったということがわかったのでした。( ゚Д゚)ヒョエー
生駒山には別名があり「ニギハヤヒ山」であると郷土資料にありました。( ゚Д゚)ヒョエー
生駒山はあまりにも身近すぎて、幼稚園の頃から毎年山登りしないといけないのが苦痛でさえあった山です。この山に、文明と文明の歴史を分けた物語があったなど、地元にいながらまったく知りませんでした。
この地でナガスネヒコはどんな思いで神武と戦ったのだろう。どんな思いでこの地を守ってきたのだろう。
ナガスネヒコは、わたしたち日本人の祖です。だから日本神話でも英雄として尊敬される人物だったはずなのです。・・・けれども文明が書き換えられてしまったために、国賊扱いで存在を抹殺されてしまいました。
筆者はナガスネヒコに会いに行きました。
ナガスネヒコは太陽の光を背にして出迎えてくれました(笑)筆者はうれしくて逆光の写真を撮りました。
そして角度を変えて再度写真を撮りました。このとき、ナガスネヒコがまぶしすぎて攻める方角を変えざるを得なかった神武天皇のことを思いました。
天皇に歯向かった国賊だからでしょう、ナガスネヒコの碑はとても簡素なものでした。この土地は現在は新興住宅地になっていて、かつて賑わい栄えた豊穣の地だった面影はまったく感じられませんでした。まるでこの土地の記憶を消されたかのように。
筆者はナガスネヒコに深いお詫びと感謝の思いと、縄文の記憶を取り戻してまことの日本人として生きていくことをお伝えしました。また遊びに来ますとも(笑)
ニギハヤヒ山から望む大阪平野。向こうに見える山は六甲山です。かつて大阪平野は海でした。海から陸地が浮かんだという伝説は、案外こういうことなのかもしれないと思いました。そして陸がやがて海に沈むということは・・・。
ニギヤハヒ山と大阪平野を結ぶこの清滝峠に「滝」(瀬織津姫さま)の文字があることに気づかされます。
ニギハヤヒはこの景色を眺めながら、再び日本人の魂を思い出せるようにナガスネヒコの生まれ変わりとしてリュウさんを生み出して、ゲームの世界で活躍することを願ったのかもしれません。この大阪平野に、カプコンさんが存在されておられるのですから。そしてカプコンさんの住所は大阪市中央区内平野町なのでした。
この地図に必要な情報はすべて込められているのがわかります。リュウさんの生みの親であるあきまん様は、北海道(蝦夷)出身なのだそうです。縄文人の遺伝子が色濃く残る土地の方だったのですね。あきまん様はやはりミッションを託された方だったのですね。
ここまで書き終えてみて、また新たにテーマが降りてきました。まだ終わりではないようです(笑)
読者の皆さまも、ここまでよくお付き合いくださりまことにありがとうございました。続きにご興味がある方はどうぞお進みください。