リュウと春麗の神隠し その6

リュウさんが世界最強の日本人でなければならない理由とは?


 

順に読まれることをお勧めします。その1 その2 その3 その4 その5 

 

 

 

今回のアップはその5とともに2017年9月24日です。

 

 

下は、今から25年前(1992年)に筆者がはじめてリュウさんに出合ったときの説明書です。この説明書を手に取ったとき、筆者は稲妻のごとく衝撃を受けたのでした。魂に響き渡る衝撃でした。なんといってもリュウさんのカッコよさにくぎ付けになりました。

 

ストⅡパッケージ あきまん様
ストⅡパッケージ あきまん様
ストリートファイターⅡ 説明書
ストリートファイターⅡ 説明書

 

次に春麗さんを見てなんてかわいい子なんだ~ってしびれまくりました。

 

ストリートファイターⅡ 説明書
ストリートファイターⅡ 説明書

 

そして春麗さんの存在なしにリュウさんは真の格闘家にはなれない!!と25年前(1992年)に直観したのでありました。高1の夏でした。

 

 

そして時は流れ、2016年8月26日。ここまで進化を遂げられた「ストリートファイターⅤ」のゼネラルストーリーを初めて見て、25年間接点のなかった二人が、美しき夜桜の咲きほころぶ画面上で「陰陽和合」を披露してくれたのでした。やっとリュウさんと春麗さんはくっついてくださいました。それをきっかけにリュウさんはついに殺意の波動を克服し、ベガ様を倒してしまわれたのでした。

 

「ぎゅっ!」(*´∀`*)・:*モウハナサナイデ!:・ 
「ぎゅっ!」(*´∀`*)・:*モウハナサナイデ!:・ 

 

その直後、筆者は下の画像に出合いました。「これは縄文人だな。もしやリュウさん?」だと思いました。

 

 

ゼネストをきっかけに、隆春熱が再燃しましてⅢ3rdの動画を見たのです。

 

ストリートファイターⅢ3rd エンディングより
ストリートファイターⅢ3rd エンディングより

 

これらのイラストはⅢのエンディグです。(なぜか筆者は長らくⅢの存在を知りませんでした。)これらを見て、筆者はすぐに「ナガスネヒコ(長髄彦)」だと直観しました。

 

 

ナガスネヒコと聞いてピンとくる方はあまりいないと思います。でも次のページでアッ!とわかられる方もおられると思いますよ(笑)拙サイトにここまでお付き合いくださいました読者様には心より感謝しております。

 

 

では、これからご説明してまいりましょう。いよいよ本番ですよ!

 

 

 

日本の魂を一手に担う最強の人物こそ、ナガスネヒコだった!!


あきまん様のリュウさん
あきまん様のリュウさん
あきまん様による解説
あきまん様による解説

 

 

上はあきまん様によりますリュウさんの解説です。

 

 

「スト2では日本の魂を一手に担うようなキャラとして生み出され、時代の空気を吸ったようなものよりも新たなる王道を提示するべきと考えた」

 

 

とのことでした。このことを筆者が知ったのもゼネストを見た後でしたから、25年前にリュウさんから受け取った印象がすさまじく普通じゃない感があったのも、納得がいきました。

 

 

さきほどナガスネヒコ(トミノナガスネヒコ、トミビコ)という人物の名をあげました。彼は『日本書紀』『古事記』『先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ)『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)に登場する、古代大和(河内・生駒)の豪族の長であります。

 

 

 

 

それぞれの歴史書は微妙に内容が違っていますが、すべてに共通するのが「ナガスネヒコはとてつもなく強かった」ということです。かの神武天皇が勝てなかった最強の日本人がナガスネヒコなのです。そしてナガスネヒコの主君がニギハヤヒでした。

 

 

ここでお断りをさせていただきます。拙サイトはアカデミックな考古学や民俗学や歴史学に基づいた考察ではなく、筆者の直観で書いております。ご理解いただきますようお願い申し上げます。<(_ _)>

 

 

 

「日本」は誰かが意図してつくられた国家だったとしたら?


 

本当の日本人とは誰なのか。公立学校ではそれを教えることはありません。われわれ日本人は、学校で学ばされている歴史が誰かの都合のよいように書かれていて、本当の歴史は隠されているということを知らなければなりません。

 

 

日本人には封印されているコード(DNA)が組み込まれています。DNAは宇宙で生命として誕生して以来のすべての記憶を原子に刻印されてらせん状に編み込まれているのです。原子は永久に不死不滅なのです。

 

 

本当の歴史を知られたくないとする支配者に意図があるならば、日本人にしか持たされていない特別なコードを眠らせておきたいわけなのです。このことにつきましては暗号解読レベル4に詳細を書きました。

 

 

そのためにGHQは戦後教育基本法を施行し、日本の真なる歴史を改ざんもしくは封殺し、天才を出さないための教育を行い、分離意識を構築させ「3S政策」(スポーツ・セックス・スクリーン)による洗脳によって、優秀で勤勉な日本人を徹底的に無知、弱体化させて縄文人として備わっていた能力(統合意識)を封印したのです。

 

 

 

持統天皇によって日本の神々の系図を改ざんされ、天津神である神武の血脈があたかも正統なる日本の天皇(スメラミコト)であると名乗りたいがために、都合よく書かれた歴史書(神話)が『日本書紀』『古事記』です。

 

 

歴史書の「神武東征」は神武サイドの視点で書かれており、まるでアメリカ大陸を征服したコロンブスの物語のようです。土地や人の命を奪ってきたことに対しての背徳感はみじんもありません。むしろ略奪者が英雄扱いとなっているのです。先住民に対する非人道的で残虐極まりない殺戮の数々は都合よく逆賊に対する天誅にすり替えられています。「奪う」ことが正義であり「奪われまい」とすることが悪であるかのように。

 

 

ナガスネヒコは神武にとって誰よりも憎き日本人です。正統なる歴史書ではナガスネヒコは神武に逆らう蛮族としての扱いになっています。ヒーロー(神武)にことごとく盾突いたナガスネヒコはヒール役なのです。つまり、神武にとってのラスボスがナガスネヒコだったのです!!

 

 

日本の歴史書は、先住民同士争わず奪い合うことなく共生して永らえてきたすばらしい縄文文明を神武と戦った縄文人「ナガスネヒコ」を殺す形で、あるいは葬り去る形で大和征服物語「神武東征」を正統なる日本の起源として位置付けることによって、真なる日本の歴史を封印させたのです。

 

 

英雄である神武が一度も勝てなかった最強の縄文人ナガスネヒコ。しかし彼の持つ弓矢は決して人を殺傷するためのものではありませんでした。外敵が土地を奪いに来たら防衛する。そのために狩りの道具である弓矢を放って外敵を追い払っていたのが本当です。

 

 

その流れ矢に当たった神武の長兄イツセは旅の途中で傷がたたって死んでしまうのです。自業自得です。通常はあきらめて故郷へ帰ればよいところを、父亡き故郷へも帰れずに神武はナガスネヒコを逆恨みしました。「恨(ハン)」の精神も相まって、どうしても美しく豊かなあこがれてやまない大和を奪いたかったのです。

 

 

 

日本最古のバトル「神武東征」。「縄文vs弥生」のはじまりはじまり~。


 

「神武東征」は一貫して「奪うことは正義」という価値観に立脚していることに尽きる!なぜなら神武(侵略者)は周囲から奪い続けなければ戦い続けられないからである!

 

 

歴史書の「神武東征」には矛盾点やあいまいな部分も多く、地名も現在と違っているので特定しにくいのですが大体の筋書きを下にまとめてみました。(ただし、歴史書は特定していません)

 

 

START 

 

神武は兄と一族を連れて九州の地を離れ海を渡り、東にある豊かな大和を目指しました。神武にとってその豊かな地は天孫である自らが統治するにふさわしい土地だと思っていました。筑紫・宇沙・岡田宮・多祁理宮・吉備と長い年月をかけて神武は各地を転々として東へと進軍してきました。

 

 

1⃣孔舎衙坂(神武vsナガスネヒコ)

 

河内に上陸し、孔舎衙(くさか)坂にやってきました。一行が上陸しようとしたとき、その地の豪族トミノナガスネヒコが軍を率いて待ち構えていました。

 

 

ナガスネヒコは「平和で豊かなこの土地を奪われてなるものか」と神武に逆らいます。ナガスネヒコは勇猛で手強く、さらに太陽を背にして陣を構えており、神武は逆光にひるんでしまいました。

 

ストリートファイターⅢ3rdエンディングより
ストリートファイターⅢ3rdエンディングより
ナガスネヒコ本拠地(筆者作成)
ナガスネヒコ本拠地(筆者作成)
神武東征ルート(筆者のイメージ)
神武東征ルート(筆者のイメージ)

 

神武の兄イツセノミコトは敵の矢に倒れ神武軍は退却するのですが、兄は傷が悪化してのちに死んでしまいました。


神武は敗因を「太陽女神アマテラスの子孫であるにもかかわらず太陽に向かって戦ったため」と考え、迂回路を進み熊野から上陸することにしました。

 

 

2⃣名草(神武vsナグサトベ)

 

まず紀伊半島の西にある名草邑(むら)に着くと、クモ池辺りで名草の女酋長であるナグサトベを誅殺しました。そして頭・胴・足をバラバラにしました。

 

 

3⃣丹敷(神武vsニシキトベ)

 

新宮に着くと大熊が現れて、すぐに姿を消しました。その後悪神に毒気をあてられて気を失いましたが、目を覚ましました。そしてその土地の女酋長であるニシキトベ(丹敷戸畔)を誅殺しました。そしてバラバラにして埋めました。その地の海岸は血で染まったので赤色海岸と呼ばれるようになりました。

 

 

4⃣熊野大泊(遭難するも救助される)

 

熊野灘で暴風雨に遭い、神武の兄二人が亡くなりました。遭難した神武は命からがら漁師に救助され、手厚く介抱されました。

 

 

5⃣熊野(神武vsタカクラジ)

 

吉野に向かう前に荒ぶる神の毒気にあてられて意識を失ってしまいました。タカクラジ(高倉下)から布都御魂(フツノミタマ)という聖剣を献上されると目を覚ましました。タカクラジは「ここから先は荒ぶる神(国津神)がたくさんいるから布都御魂(フツノミタマ)で追い払うとよいでしょう。さらに「険しい山道への道案内役に八咫烏(ヤタガラス)を飛ばしますのでそれを追うとよいでしょう」と言いました。

 

 

6⃣宇陀(神武vsエウカシ)

 

兄のエウカシと弟のオトウカシがその地の豪族でした。弟は神武に帰順しましたが、兄は逆らいました。神武は兄のエウカシを惨殺し、弟に忠誠を誓わせました。そしてその土地は血に染まったいわれから血原と言われるようになりました。それから八十建(やそたける*個人名ではないようだ)という、数々の豪族たちを食事に招いて宴会しているところを、うしろから惨殺しました。

 

 

7⃣孔舎衙坂(神武vsナガスネヒコ再び)

 

さてさて憎きナガスネヒコを再び倒さんと、大和の孔舎衙坂に進軍しました。

 

 

 

立場を反転・統合して歴史書を読めば真実が見えてくる


 

大和の地の豪族ナガスネヒコは、生駒山にご降臨された神・ニギハヤヒに帰順した、戦闘能力の高い縄文人でした。彼は強いからと言って、周囲の領土を収奪して拡大することはありませんでした。むしろ隣邦の族長たちとテレパシーで連絡を取り合い、連携していたのだと思います。

 

 

神武東征では、ナガスネヒコに敗れた神武が紀伊半島沿いに熊野灘まで海で渡り、内陸は吉野を通って大和入りするコースをたどっています。神武は要所要所で土地の酋長や族長を惨殺していくのですが、おそらくナガスネヒコは、各地のリーダーに「侵略者が来た。備えよ」とテレパシーで伝達したのだと思います。縄文人ならこれくらいのことは通常にできました。

 

 

今でいう、一斉メールを発信したのです。各地のリーダーは情報を受け取ったとはいえ、今まで争ったことのない、戦ったことのない、奪われたことのない縄文人にとって、侵略者は未知のインベーダーでしかありません。

 

 

特に名草と丹敷は女酋長が治めていた平和な母系社会だったのです。南紀は太平洋に面していて暖かく開放的な土地柄もあって、おおらかな部族だったのでしょう。

 

 

紀伊半島一帯は、国津神であり出雲系の神々が守っていました。歴史書では神武が出雲系の神々を悪神や荒ぶる神として倒しながら大和の地を征服した武勇伝として記されています。このことから歴史書を書かせたのは天津神であり伊勢系であることが読み取れます。(持統天皇は藤原不比等に『日本書紀』を編纂させました。このことについてはその3に詳しく書きました)

 

 

ところで、出雲族には「まれびと」という教えがあります。まれびと(稀人)というのは他所から来た人という意味で、お客様が来られたらご丁重におもてなしをしなさいという出雲族(縄文人)の教えでした。

 

 

神武はまれびとではありましたが「領土を拡大し征服する」という意図を持った弥生人でした。それは、他者の土地を奪い取るということです。奪うことを良しとし、奪われることは愚かなことであるという価値観でなければ領土を拡大することはできません。縄文人は弥生人の襲来を初めて体験することになったのです。それが「神武東征」でした。

 

神武東征ルート(筆者イメージ)
神武東征ルート(筆者イメージ)

 

2⃣最初に殺されたナグサトベはおそらく「まれびと」のおもてなしをしために、防御することなく惨殺されたのかもしれません。歴史書には戦闘の記録がないからです。おそらく、遠方からはるばるやってきた「まれびと」をよろこんで出迎え、ねぎらい、もてなした結果、惨殺されてバラバラにされたのでしょう。

 

 

3⃣次の上陸地である新宮では「大熊が現れて姿を消したのち、神武軍は意識を失って眠ってしまった」という記載がされていますが、ぼかされていて本質は書かれていません。

 

 

この地の女酋長ニシキトベは先に死したナグサトベの意識体から「侵略者が来た。このような手法で襲ってきた。備えよ」とメッセージを受け取っていたのかもしれない。だから戦わない女酋長は得意の呪術で神武軍を眠らせたのでしょう。けれど武力には為す術がなかったのだと思います。殺されてバラバラに切り刻まれて埋められてしまいました。

 

 

4⃣熊野灘で暴風雨に遭っている「まれびと」を救助したのは漁師でした。熊野の漁師たちは串本でトルコのエルトゥールル号が難破したときと同様にまれびとである神武軍を手厚く介抱しましたが、神武に恩をあだで返されました。遭難して食料も武具も尽き果てた神武軍にだまされて、食料を奪われたり惨殺されたりしたのでした。

 

 

5⃣吉野入りは最大の難所の一つです。土地勘のない神武軍には山越えは困難なはずでした。歴史書では国津神のタカクラジが神武に布都御魂(ふつのみたま)を献上し八咫烏を先導させて神武軍に道案内をしたということになっています。

 

 

ここで注目するべき点は、神武はここで布都御魂(ふつのみたま)を手に入れたということです。国津神であるタカクラジが大切な神宝を「まれびと」に譲り渡すはずがないのです。タカクラジはおそらく命がけで神宝を守ったはずなのです。ここに真相が隠されています。

 

 

編纂者はタカクラジから布都御魂(ふつのみたま)を献上されたという記載をすることによって体よくまとめていますが、要するに神武はどんな手を使ってでも布都御魂(ふつのみたま)を手に入れなければならなかった。

 

 

なぜならば、熊野から吉野に至る紀伊山地は国津神の住まう霊場であり、天津神が吉野を突破するには国津神の神宝の聖剣が必要不可欠だったからです。熊野灘で遭難して武器を失った神武にとって、国津神の聖剣である布都御魂(ふつのみたま)なしに大和までたどり着くことはできなかったはずだからです。

 

 

すでに猟奇的大量殺戮を繰り返してきた神武にとって、タカクラジを殺すことはたやすいこと。けれどタカクラジを殺してしまえば神宝のありかを知ることはできない。おそらく住民を人質にとるなり脅しをかけられて、タカクラジは布都御魂(ふつのみたま)を差し出さなければならなかった。こう考えると肚に落ちるのです。

 

 

そして、吉野は数々の難所の山を越えなければなりません。海岸沿いを進むことはたやすくても、土地勘のない神武軍が単独で難所の山を越えることはほぼ不可能です。目的地は紀伊山地を超えた先にある大和の孔舎衙坂。そこへ確実にたどり着くためには、地元の人間による先導者が必要です。記紀での「八咫烏」は鳥ではなく、人質にされた人間だったのでしょう

 

 

6⃣宇陀の豪族であるウカシ兄弟に対しても、各地のリーダーから情報を得ていたと思われます。弟は神武に帰順しましたが、兄は帰順したと見せかけて相手を油断させたすきに反逆しました。これは明らかに敵の行動を先読みして知略を駆使した戦法だったと思います。ナガスネヒコもアドバイスしていたと思います。けれど神武軍の武力にはかなわなかったのです。

 

 

7⃣さて、ようやく遠回りして太陽を背にして戦える位置に進軍してきた神武。宿敵ナガスネヒコはどう応戦するのでしょう!? これまで殺されてきたリーダーたちから得た情報は出そろっている。ならばこちらはそれに備えて待っていようではないか。ナガスネヒコはこのようにして陣を構えていたのかもしれません。下のイラストからそのような印象を受け取りました。

 

ストリートファイターⅢ 1st・2ndエンディングより
ストリートファイターⅢ 1st・2ndエンディングより

 

次回につづきます。