『女たちのゼネラルストーリー』の続編です。
真のヒーローに捧ぐ
最高のプレゼント
~SFⅤゼネラルストーリーエンディングより~
わたしとリュウとガイルの帰還をもってシャドルー壊滅作戦に成功したことを知ったファイター達は、わたしたちに駆け寄って出迎えてくれた。
「お見事でしたわ」
シャドルー壊滅作戦の司令官をつとめた神月家の当主・かりんさんは拍手で出迎えながらわたしたちの前に歩み寄った。
「ベガを倒したのはこのリュウだぜ。まったく大した野郎だ」
ガイルがリュウの肩に手をかけた。
「皮肉だな。ベガが欲していた肉体の持ち主に、ベガ自身が滅ぼされたわけだ」
ガイルが言うとかりんさんがうれしそうな表情でリュウに向けて言葉を放った。
「さすがですわ。戦争を起こさずともあなたの拳で世界を救ったのですから」
世界中から集結したファイターたちは、シャドルー壊滅作戦の大仕事を完遂させたリュウを世界最強の格闘家として称賛し尊敬の念を称えた。一方、勇者であるはずのリュウは、確かな感覚を忘れぬよう、右の拳を握りしめたまま納得した面持ちでたたずんでいた。
「殺意の波動を克服したということだな。やったな、リュウ!」
ケンは親友の肩に手をかけた。
「今度、おまえの『答え』とやらを確かめに行くぜ! 待ってろよ」
リュウは静かにうなずいた。
「シャドルー壊滅作戦の成功を祝して、神月邸にて祝賀パーティのご用意が整っております。みなさんどうぞ心行くまで楽しんでいらして」
かりんさんはファイターを乗せたヘリのコックピットの前で右手を高く掲げて言った。縦巻カールの髪を大きく揺らせながらよろこびを隠せない様子だ。かりんさんはわたしたちがシャドルー基地に乗り込んでいる間に、ファイター達へのねぎらいと勝利を期して祝賀会の手配をしてくれていたのだった。
神月家のヘリポートに到着すると、ファイターたちは、先ほどまでの疲労も吹き飛んだようによろこび勇んで神月邸へと向かっていった。
「かりんさん、この子を保護してあげて。ベガに捕らわれてひどく憔悴しているの。十分な心のケアが必要よ」
わたしは女の子の両肩に手を添えて、かりんさんに言った。
「承知いたしました。我々が手厚く保護させていただきます」
「心配しないで。おなかいっぱいごちそうしてもらいなさい。そこでゆっくり休むといいわ」
シャドルーに捕らわれて恐怖に震えていた女の子は、歩くことすらままならないほど憔悴しきっていた。わたしは不安げな表情の女の子の頭をそっと撫でた。女の子は緊張していた面持がゆるんでほほえむと、小さくうなずいた。
「きっとあなたを助けてあげる。だから安心して」
わたしが女の子に声をかけている間、かりんさんは携帯でハイヤーを調達していた。すぐさまハイヤーが到着すると、かりんさんの側近が女の子を後部座席に乗せた。
「主役のあなた方もぜひ。パーティ会場でお待ちしておりますわ」
かりんさんがハイヤーの窓からリュウとわたしに声をかけた後、ハイヤーは走り出し、静けさだけが残された。
そこにたたずんでいたのはわたしとリュウだけだった。わたしはこれまでの緊張の糸が切れてしまったのか、その場にへたり込んでしまった。
リュウはわたしの横に近づくと、何も言わずに背中を向けてしゃがみこんだ。
「乗りな」
わたしは立ち上がることもできず、何も考えることができなくなってしまっていたから、素直にリュウの背中に身体を預けるしかなかった。
「重いわよ」
「平気だ。それに、俺はそんなにやわじゃない」
リュウとはタッグを組んでシャドルー壊滅作戦の一刻を争う修羅場をともにくぐりぬけてきた。わたしは必死でハッカーの女の子を救出し、リュウは打倒ベガを果たした。あまりにも劇的な出来事が続いた後だというのに、気持ちの整理もつかないうちに今度はリュウの背中に負われようとしている。
リュウに遠慮なく自分をゆだねられたのは、ともにベガの本拠地で戦った者同志の信頼関係がすでに結ばれていて、心の垣根が取り払われていたからだった。そのせいなのか、わたしはためらいもせずにリュウの首すじに腕を回して思い切り抱きついた。リュウはすっくと立ち上がった。
「君に見せたい場所があるんだ」
意外なリュウの言葉。すでにリュウに自分をゆだねたわたしは、リュウの耳元で「うん」と言った。そしてリュウの歩調に揺られながら目を閉じてリュウの息遣い、におい、ぬくもりをじかに感じていた。それらが不思議と心地よく感じられた。
あんなに遠くて謎めいていたリュウとこんなに密着しているなんて。想像を超えた現実に、わたしはやっぱりこれは夢じゃないかと思ってみるけれど、確かにリュウを感じている。そんなことばかりが頭の中を駆け巡っていた。
リュウはわたしを負ぶってどれくらい歩いたのだろう。いつものわたしなら、きっと途中で降りて自分の足で歩いたはず。けれど今のわたしは幼子のようにリュウにすべてをゆだねきっていたせいで、ほんの少しも自分の足で歩こうとする思いさえ出てこなかった。そんな一面を持っていた自分を見つけたことに内心驚いてしまった。そして自分のすべてをゆだねられる人が、この世界に父親以外にもいたなんて。その人がリュウだったなんて・・・。
「下を見てみろ」
リュウはわたしを背負ったままわたしに声をかけた。わたしは目を開けて眼下に広がっている景色を見た。
「ここは・・・!」
はじめてわたしが日本に来て訪れた場所。ICPOの任務ではじめてリュウに会いに来た朱雀城だった。川沿いに明かりが灯った満開の夜桜が立ち並ぶ見事な風景が広がっていた。
わたしはリュウの背中から降りて、明かりに照らされた夜桜が揺れているさまに目を奪われていた。
「ここがこんなに桜のきれいな場所だったなんて」
「君がはじめて俺の前に現れたのがここだった」
えっ!? リュウは覚えていてくれていたの? わたしがリュウに会いに来たときのことを!? 振り向いてリュウを見るとわたしを見つめてやわらかな笑みを浮かべていた。
「俺にとってはじめて出会った女性格闘家が君だった。あまりの強さに驚きとショックを覚えたよ」
まさかリュウは今、わたしと出会った日のことを話しているの!? 何年も前のことを忘れずにいてくれていたの? わたしはリュウの目を見つめたまま何も言葉にすることができなかった。だって、わたしのことなんてリュウの心の片隅にも置いてもらえていないと思っていたから。
「あのとき、君が刑事になったのは強いからじゃなく、君の父さんを救うためだったからだと後で知った。そのとき俺は、君の力になりたい、君を守れるくらい強い男になりたいと思ったんだ」
清々しい目でリュウは言った。わたしの目の前にいるのは、殺意の波動に苦悩していたときのリュウではなく、囚われから吹っ切れた堂々たる姿のリュウだった。わたしはリュウの言葉にどう答えたらよいのかわからなくなっていた。だって、リュウが強くなりたいと思ったのは、「わたしを守りたいから」だったなんて思いもよらなかったから。
「日本に帰国してすぐ、ここでひとり氣を沈めていた。そのとき君とはじめて出会ったときのことを思い出した。正直言うと、俺は君を守れるくらい強くなれたかどうか確信はなかった。殺意の波動がまだ俺の中に息づいていたから」
リュウがわたしのことを話しているなんて。わたしの心臓は激しく高鳴っている。リュウの言葉が信じられなくて、夢にも思ったこともなかったリュウの言葉があまりにも衝撃的すぎて、戸惑うことしかできないでいた。
「あのとき、ここの桜を君に見せてやりたいと思った。そう思ったら神月邸に向かう決心がついたんだ」
「わたしも」
とっさに口をついて言葉が出た。
「わたしも、神月邸であなたが来てくれるのをずっと待ってた。夜桜を眺めながら、ずっとあなたを待っていたのよ」
リュウは驚いたような目でわたしを見た。
「リュウが来てくれて、本当にうれしかった。だからとっさにあなたに手を差し出したの。あなたと握手することなんて考えもしなかったのに」
「そのときの握手が、俺に殺意の波動を昇華する力を与えてくれたんだと今ならわかる。俺は君の力になるどころか、君から力をもらっていたんだ」
「そんな・・・わたしは何もしていないわ。それどころか、あなたはベガを倒してわたしを守ってくれた。あなたはわたしの命の恩人なのに」
ベガを倒したことで世界最強の格闘家であることが証明され、世界中から称賛されるべき人が、どうしてこんなに謙虚でいられるのかわたしにはわからなかった。格闘家ならもっと勝利をよろこび自分の力量を誇るべきなのに。世界を救ったことを誇るべきなのに。
わたしはリュウという人間の大きさに圧倒されつつも、目の前にいる男の静けさの中に秘められた情熱に触れたような気がした。リュウの苦悩の果てにたどり着いたのがわたしとの握手だったなんて。わたしはこれまでのあらゆる思いが堰を切ってあふれ出してしまい、自分の顔を両手で覆って嗚咽してしまっていた。
「・・・!」
わたしはリュウの胸に抱き止められていた。
「よかったよ。君が無事で」
リュウはそう言うと、わたしを強く抱きしめた。リュウに抱きしめられてすべてをゆだねたい思いが強くなったとき、わたしはか弱く非力な乙女になっていた。わたしはリュウの腕の中で声を上げて泣いた。泣きながら、シャドルー基地から脱出する際に、無条件にわたしを包み込んでくれたリュウの波動を思い出していた。
リュウの波動に包まれていたときに感じたのはあたたかさ、やさしさ、いたわり、よろこびといった戦いの最中にいては決して感じることのなかった感覚だった。あの不思議な波動の中に包まれていた間、わたしは無敵でいられた。どんな障害物もわたしを傷つけることはできなかった。わたしはあのときリュウの愛の中にいたんだと、リュウの腕の中に抱きしめられてはじめてわかったのだった。
あれほど殺意の波動に苦しみもがいてきたリュウの魂の奥底にあったのは、愛。リュウの広くて深い愛だった。ついさっきまでシャドルー基地で最前線を戦ってきたことが遠い以前のように感じられた。激しく打ち付けるリュウの胸の鼓動がわたしの胸に伝わってきている。わたしの胸の鼓動もきっとリュウに伝わっていたと思う。
ひとしきり泣いた後、リュウはわたしを抱きしめる腕を緩めて右手を差し出した。
「歩けるか?」
「ええ」
そう言って、わたしはリュウの手を握った。リュウはわたしに笑顔を見せてから無造作に置かれていた大きなザックを肩に担いだ。ICPOでさえ、さすらいの格闘家をつかまえるのが大変だったのに、わたしは今リュウと一緒にいて心を通わせている。わたしたちは手をつないで朱雀城を降り、先ほどまで見下ろしていた桜を今度は見上げながら桜並木沿いを歩いていた。リュウの大きな手から伝わるぬくもりを感じながら。
そのとき、強い風が桜の木の枝をしならせながら吹きぬけていった。桜の花びらが一斉に舞い散ってわたしたちは桜吹雪の中にいた。
「ああ、きれい・・・。でも、桜が散ってしまうのは惜しい気もするわ」
「日本人は、散る桜のいさぎよさに美しさを感じるんだ。そして桜のようにありたいと思う」
「だからあなたは桜が似合うのね」
くすっと笑いながら言ったけれど、本当にそう思った。
「桜は美しいだけじゃない。悲しみの上に咲くんだ」
わたしは言葉の続きが聞きたくてリュウを見た。赤いハチマキが風に吹かれてたなびいていた。
「多くの桜は、焼け野原や戦場で散った魂を鎮めるために人の手で植えられたものだ。桜は悲しみを糧に全力で咲くんだ」
リュウは歩を止め、わたしの正面を向いてわたしの目を見た。
「だから美しさだけじゃなく、悲しみも全部受け止めたい。君を守れたとき、そう思った」
そよ風がわたしたちのたたずむ空間に桜の花びらを舞い散らせた。わたしの白いリボンとリュウの赤いハチマキもひらひらと風に揺られていた。
「君が好きだ」
リュウはやさしさの奥に強さを秘めたまなざしで言った。確たる自信をその目に宿して。
「もう一度・・・もう一度言って」
わたしはなぜか懇願していた。足が、胸がふるえていた。
「好きだ。・・・おまえが好きだ。ずっと好きだった」
「わたしも・・・!」
わたしたちはお互い引き合うように抱き合った。もう離れられない。それほど強く抱きしめ合っていた。抱きしめ合いながらわたしたちはもう、元には戻れないことをお互いわかっていた。
「ずっとおまえへの思いを抑え込んでいた。強くなるためには邪心を捨てなければならないと思っていた。でも違った。おまえへの思いは邪心なんかじゃなくていちばん大切なものだった。自分の気持ちから目をそらさずに向き合うことが何より大事だったんだ」
リュウの思いがひしひしと伝わってきた。リュウはわたしを意識しないように懸命に抗っていたんだ。だから目を合わせることもなく、わたしを遠ざけていたのね・・・。なのにリュウの思いにずっと気づかずにいたなんて、わたしはいったいリュウの何を見ていたの? 情けない自分を悔やんだ。
「リュウ・・・わたしも遠くにいるあなたのことが好きだった。だからあなたとともに戦えたことが本当にうれしかったのよ」
涙がとめどなく流れてはあふれてくる。リュウはわたしの頭をやさしく撫でた。激しく打ち付ける胸の鼓動とともにリュウの呼吸が早くなっている。わたしを抱きしめる力が次第に強くなっていた。
「春麗・・・ああ! 春麗・・・抱きしめたかったよ、ずっと」
リュウがこんなに感情を素直に表現しているなんて。こんなにもわたしへの熱い想いを秘めていたなんて。リュウがこんなにもわたしを愛してくれていたのに、どうして気づかなかったのだろう。どうしてわたしも素直になれなかったんだろう。好きなのにお互いずっと苦しい思いをしていたなんて。切なすぎてきゅうっと胸が締め付けられて苦しくなっていた。
「もっとはやく抱きしめてくれたらよかったのに」
「殺意の波動に囚われているような弱い男が抱きしめられるわけがないだろう?」
強くなったリュウだからこそ、その言葉が言えたのかもしれない。わたしはリュウらしくない言葉を次々と言ってくれるのがうれしくてこそばゆくて思わず笑ってしまった。笑ったら、心の緊張がほぐれたような気がしてわがままを言ってみたくなった。リュウの顔を見上げる。
「ねえ、もう一度『好き』って言って」
「ん?」
わたしだってわがままも言うし甘えてみたい。ずっと戦いの世界にいたから許されなかったことを、リュウには思い切りぶつけてみたい。リュウならきっと受け止めてくれる。
「ああ、何度でも言うよ」
リュウも吹っ切れたように笑った。そしてわたしの両肩をしっかりとつかんでわたしの目の奥を見た。
「俺は春麗が好きだ。おまえを想う気持ちは誰にも負けない。世界一春麗が好きだ」
「もっと言って」
・・・って言い終える前にわたしの唇は不意にふさがれた。リュウの突然のキスに驚いたわたしは、生まれてはじめてのキスを存分に味わいたくて目を閉じた。リュウのキスは長くてせつないキスだった。やがてゆっくりと唇は離れた。
「まだだ」
そう言って、リュウはもう一度わたしにキスをした。二度目のキスはリュウの思いがふんだんに込められたキスだった。リュウは舌を入れて絡ませてきた。わたしは驚きつつもうっとりしながら為されるままになっていた。キスがこんなにエロティックな愛の表現法だったことに驚きつつ、リュウがこんなにも愛を真剣に全力で伝えてくれたことに感極まって気を失いそうになった。絡ませ合った舌との別れを名残惜しむように唇を離すと、リュウはわたしの真っ赤になった頬を両手にあてて言った。
「言葉じゃ伝えきれない」
わたしはリュウの熱い想いと官能的なキスに気圧されて呆然としていた。リュウは拳で語る人だもの、愛もキスで語る人だったのね・・・。頭がぼんやりしながらそう感じていた。それにしてもリュウにこんなワイルドな一面があったなんて。
「うれしすぎて死んでしまいそう」
リュウは澄んだ瞳でまっすぐにわたしを見つめてくれている。はじめて見るリュウのやさしい目。こんなに激しくもやさしい一面のあるリュウをわたしは今まで以上に好きだと思った。わたしはうつろな目をしてつぶやいていた。
「だいすき💖」
リュウはわたしを見て会心の笑顔になっていた。殺意の波動とは真逆のリュウだった。
「祝賀パーティ、終わってしまうな」
「そうね」
わたしたちはお互い向き合いながら神月邸のある方向を見ていた。
「俺たちふたりだけで祝おうか?」
「プレゼントはわたしでいい?」
「これ以上ない最高のプレゼントだ」
わたしたちは目を合わせると吹き出した。そして神月邸と反対の方向に歩きはじめた。桜の花びらが舞う道を、肩を抱き寄せ合いながら。