上海より愛をこめて

 

 ~SFⅤからⅢへ~

 

 

 

山へ

 

 

 

 熊野三山は世界遺産になってからはたくさんの人々が訪れる。リュウの修行の地は熊野三山から少し離れたところにあるために誰も近寄ることはない。ごく一部の修行者――それは暗殺拳習得者――つまりは表に出ないで暗躍する陰の立役者たちだけにしか知られていない秘境の地だった。

 

 

 リュウの流派の始祖である轟鉄老師は、役行者(えんのぎょうじゃ)という修験道の開祖と、空海という密教の開祖の神通力を格闘術に組み込んで波動拳を完成させたという。この熊野一帯は古来より霊験あらたかな霊山であるため、数多くの覚醒者を輩出したそうだ。

 

 

 クルマを置いて、ひたすらけもの道を歩く。リュウの指示通り、荷物はリュックに詰め込んで背負った。わたしはこのときになってはじめて、山歩きの装備で日本に来るようにと言われていた意味がわかった。夏場は草が生い茂っていてこの道は閉ざされるのだという。今は秋だとはいえ、人の踏み入れない道。リュウはわたしの前を道なき道だというのに迷いもせずにずんずん突き進んでいく。時折振り向いては「大丈夫か?」と声をかけてくれる程度で、黙々と目的地を目指していた。

 

 

 山歩きに慣れていないわたしは「待って」と何度言いたかったかわからない。けれど脚力だけは自信があったから、必死でリュウについていった。

 

 

 道なき道は、岩肌をよじ登ることも迫られた。そんなときはリュウが上から手を伸ばして引っ張ってくれた。

 

 

 道に迷った様子ではないとはいえ、山を歩きはじめて小一時間は経っていた。わたしはリュウの修行の地を訪ねる計画を提案したことを後悔しはじめていた。

 

 

「もう少しだ」

 

 

 その一言にやっと目的地が近づいたことを心からよろこんでいる自分がいた。枯れ葉で覆われた傾斜を登り切ったとき、目の前に広がった光景に思わず目を奪われていた。

 

 

「ここは・・・!」

 

 

 白い絹糸のような直瀑の滝が、一枚岩の巨石の上辺から滝壺に向かって勢いよく水しぶきをあげていた。透き通るような水は川底を鏡のように映しだして緩やかに流れている。

 

 

リュウは手を合わせて祈りをささげた後、滝を見上げて黙想していた。リュウの静かなるたたずまいが美しいのは、高潔な精神を宿した魂が見る者を引き込むからなのだろう。いつも遠くにいて切り立った崖の上に孤高にそびえ立っているリュウの姿が脳裏に浮かんだ。今、リュウのそばにわたしがいる。夢なのか現実なのかわからないほど幻想的な自然のなかにわたしたちは抱かれている。不思議な感覚にいたわたしは、リュウの声で我に返った。

 

 

「この滝は、ご神体なんだ」

 

 

「ご神体・・・この滝が・・・」

 

 

 わたしは自然と手を合わせて目を閉じた。ここに招いてくれたことへの感謝をお祈りしてから勢いよく水しぶきを上げている滝を見上げていた。ここに立つと不思議と心身ともに清められたような気がした。

 

 

「よくがんばったな。春麗だから連れてこられた」

 

 

 リュウは振り向いてそう言った。

 

 

「こっちだ」

 

 

 滝と反対の方向へ進んだリュウは、わたしを案内してくれた。そこは小さな小屋があった。かんぬきを開けると、畳が敷かれた小部屋がいくつかあった。

 

 

「懐かしいな。何にも変わっていない」

 

 

 そう言って、リュウは中の様子を確かめていた。

 

 

「電気はないが、トイレはあるから安心しろよ」

 

 

 リュウはわたしをからかっているのか笑いながら言った。小屋を出て裏に回るとリュウは数メートル歩いて立ち止まった。そこには湯気の立った小さな池があった。リュウは手を入れて中を確かめていた。

 

 

「触ってみろ、春麗」

 

 

 言われるままに手を入れてみた。池なのに熱くてびっくりした。

 

 

「あったかい! もしかして、これは温泉なの?」

 

 

 リュウは得意げにうなずいた。

 

 

「ここは温泉の源泉なんだ。ここから下流へ流れていって、観光地の温泉になっているんだ」

 

 

 苦労してここまで来た甲斐があった。観光地の源泉をたったふたりで貸し切りというわけなのだから。リュウの修行の地は人の踏み入れない秘湯の地だった。滝もあるし修行者にはもってこいの場所だ。周りには果樹まで生えている。ここに小屋が建てられた理由がわかった。

 

 

「あなたはここにこもって修行していたのね。どおりで探しても見つからないはずだわ」

 

 

「ここの温泉は湯治にもいい。傷ついた身体をこの湯で何度も癒してもらった。海外を渡り歩いた後は、ときどきここに来ていたんだ。今はもう誰も来ることはないだろう・・・。豪鬼以外は」

 

 

「豪鬼?」

 

 

「ああ。純粋に戦いを求め続けて暗殺拳を極めた男だ。俺も豪鬼も轟鉄一門の流れを汲んでいる。だが、豪鬼の兄、つまり俺の師匠は暗殺拳を洗練した技を俺に伝授してくれた。俺も殺意の波動に完全に呑み込まれてしまっていたら、豪鬼のようになっていたかもしれん」

 

 

 今まで何度も殺意の波動に呑まれそうになっていたリュウの姿を思い浮かべた。あのときのリュウを止めることはとても大変だった。

 

 

けれど半年前にシャドルー壊滅作戦に参戦したときのリュウは違っていた。わたしはシャドルー基地から脱出した際、リュウの波動拳に守られたことを思い出していた。あんなにやさしくて包容力のある波動は殺意の波動とは真逆の愛そのものだった。

 

 

「でも、あなたはもう殺意の波動を克服したのだから、きっと大丈夫よ」

 

 

「そう思いたいな」

 

 

 今日、赤色海岸でリュウが取り戻した殺意の波動の記憶をどう帰結すればよいのかを思いめぐらせていた。わたしはこのとき、あることを思いついてしまった。

 

 

「リュウ、ここは女人禁制の地じゃないの?」

 

 

「さあな。少なくともこんなところに来たことのある女性はいないだろうな」

 

 

 わたしはなぜかここも女人禁制の地じゃないかと思った。きっとリュウのお師匠様も豪鬼という人もそう認識していたと思う。だって、修行の場に女を連れてくる男性なんているわけがないもの。わたしは意を決した。

 

 

「リュウ、わたしこの温泉に入るわ。あなたと一緒に」

 

 

「なんだって!?」

 

 

「わたしたちがここでひとつになれば、あなたの殺意の波動は完全に昇華させられると思うの」

 

 

 どうしてこんなことが言えたのか正直わからない。けれどリュウのためならどんなことでもしてあげたかった。

 

 

「春麗・・・。本気で言っているのか? 俺はそんなつもりでおまえをここに連れてきたわけじゃない」

 

 

「わかってるわ」

 

 

「でもな、春麗・・・俺もここでおまえを抱きたい」

 

 

 そう言ってリュウはわたしを抱きしめた。

 

 

「女人禁制の地で春麗とセックスしたら、世の中ひっくり返せるような気がしてきた。俺、無敵になれるような気がする」

 

 

「わたしもそう思うの。ここであなたと結ばれたら、本当の意味であなたの魂を癒せる気がするの」

 

 

 この地は古来より霊山であり、道を求める修行者の聖地。山岳や巨木、巨石に滝、そして温泉の沸き出す場は強力な磁場があり気の満ちる龍脈が通っている。特にここはすべてがそろっている秘境中の秘境であり、聖地の中の聖地。おそらくリュウの一門はこの地を師匠の断りもなしに訪れることを禁じたはず。今日ここにわたしがいるのは、もしかしたら、ご神体の滝に導かれたからなのかもしれない。

 

 

 わたしたちはお互いの目を見てうなずき、がぜんやる気になっていた。ともに滝で禊ぎをしてから温泉で契りを交わす。これは水と火の交わりとなる。古代の儀式もそんな感じだったかもしれない。いつの時代も、秘儀というのはアナログ的手法なのだろうと思った。

 

 

現代で大自然の下で裸の男女がひとつになるなんて、通常はありえない。けれど真実はこれこそが本当の自然の行為なのかもしれない。これまで長い間本質とか真実といったものは秘儀にされたり秘匿されたり、非常識だといって表に出ないように隠されてきたのだから。

 

 

 滝で身を清め、冷え切った身体を湯の中に身を沈めた。屋外で素のままの姿で向き合うなんて恥ずかしいはずなのに、なぜか自分の身体を誇示したい思いにかられた。

 

 

リュウと愛し合うようになってから、わたしの身体は明らかに変化した。肌が透き通るようになめらかになり、胸はさらに大きくなって弾力が増した。それから女陰がふくよかになり濡れやすくなった。わたしの子宮はいつだってリュウを待ちこがれている。離れている時でさえも・・・。

 

 

 

戦いの世界に身を置いていた頃にはなかった、女性であることのよろこびをわたしは知ってしまった。愛する人に愛される体験は、肉体を超えて見えない世界へつながる歓喜の渦を呼び起こす。その悦びを素直に表現したい。そしてそんな自分を愛する人に見てもらいたい。女としてもっとも美しい今この瞬間を、惜しむことなくさらけ出したい。

 

 

リュウの浅黒く日に焼けた肌は湯を玉のようにはじいている。隆々とした肉体は太陽の光線の輝きを反射していて眩しいほどだ。力強い美を体現した筋肉の鎧に思わず触れたくなる。そのたくましい肉体に身体をゆだねたくて、抱きしめてほしくてたまらなくなっていた。

 

 

「春麗、きれいだ・・・とても」

 

 

 リュウはわたしを抱きしめると硬く充実した男根がわたしの下腹部を衝いていた。お互いの肉体と霊体が強烈に引き合っている。理性のリミッターが解除されてなりふり構わず情欲を燃え上がらせた。

 

 

「リュウ、あなたの心の鍵をすべて外して。あなたのしたいことを全部させてあげる。それと、あなたがしてほしいと思っていることを、わたしにさせてほしいの」

 

 

 わたしはリュウの頬を両手で触れながらそう言った。リュウの目は格闘家としてのまなざしになっていた。その奥に欲望を超えた覚悟を宿して。これは単なるセックスじゃない。リュウの魂に掛けられた結界を解く儀式。それから先のことは、わたしとリュウだけの秘密・・・。