リュウと春麗の神隠し その9

アンチヒーローこそ真のヒーローだ!


順に読まれることをお勧めします。その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8

 

 

 

魂のなかにはすべての記憶がある。

 

本来の関係、誕生、意味。

 

けれどもこの原初の図面は、

 

曇り、忘れられたまま、

 

魂のなかで眠っている。

 

しかし完全に消滅はしない。

 

闇に隠された覚醒への暗示、

 

憧れがなければ、

 

決して目覚めることはないだろう。

 

 

F・W・シェリング『世界の年齢』より

 

 

 

今回のアップは2017年10月28日です。

 

 

前回(その8)を書き終えるころ「もしかしてまだ終わりじゃないのかも」という思いがよぎりました。いつもこれが最後と思いながら記しているのですが、最後に「まだ続きがあるの?」と気づかされるのです。

 

 

深く意識を沈めておりましたら、涙がぽろぽろとあふれるように零れ落ちました。

 

 

ああ、ついにこのことを書かせていただくことになるのですね、と深く思い至るのです。けれどもなかなかパソコンのキーボードに向かう気持ちになれませんでした。あまりにも恐れ多くて。

 

 

今回も過去現在の資料を分析し論理化して主義主張をするのではなく、筆者の直観に基づいた体験を書かせていただくことをどうかお許しくださいませ。

 

 

 

貶められたヒーローはここにもいた!スサノオだ!


 

筆者は高校の日本史の授業中、こんなことがありました。

 

 

日本史の先生はかなりの歴史マニアのおじいちゃん先生でした。その先生が授業中に「天の岩戸」の話をされたのです。

 

 

おそらくこのときはじめてスサノオがアマテラスの弟だということを知ったと思います。「スサノオが悪事の限りを尽くしたことで困った姉が天の岩戸に隠れてしまった」というようなことを話しておられました。

 

 

「スサノオはわるくない!」

 

 

なぜか筆者はそう直観したのでした。

 

 

2017年秋。このサイトを運営しているうちにあろうことか日本神話にたどり着いてしまいました。それで初めて神様の世界に対立構造があったことを知りました。

 

 

 

その2で記した「男神天照大神は 天照国照彦天火明奇玉饒速日尊(アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシタマニギハヤヒノミコト )すなわちニギハヤヒは出雲系でスサノオの四男と触れました。このことも初めて知りました。

 

 

そこで筆者はスサノオについて調べてみたんです。

 

 

なんと『古事記』では、これでもか!これでもか!というくらいスサノオをこき下ろしまくっております。極度のマザコンで亡き母(イザナミ)会いたさに泣きわめき(そのせいで作物が枯れ)、暴れまくり(田畑が荒れ)、糞尿をまき散らし・・・って、これ以上ないくらいのひどい書かれようです。挙句の果てには高天原から人間界に追放されてしまうのです。

 

 

スサノオを悪者に仕立て上げる必要があったのでしょう。数々の汚名を着せて追放された身として人間界に住まう国津神にしておけば、高天原にいる女神アマテラスを皇祖神として祀ることができるからです。それにしてもこんな書かれ方って・・・。

 

 

でもね、スサノオは日本神話では元祖ヒーローの中のヒーローの神さまなんです。なぜなら、追い出された人間界でヤマタノオロチを退治して、いけにえにされていたクシナダ姫を救い出して結婚するというヒーローの王道をゆく神様だから。本当のスサノオは超カッコいいスーパースターの神様なのです。

 

月岡芳年『日本略史之内素戔嗚尊出雲の簸川上に八頭蛇を退治し給ふ図』
月岡芳年『日本略史之内素戔嗚尊出雲の簸川上に八頭蛇を退治し給ふ図』

 

 

日本神話を読んでいて最初のショッキングなエピソードは、国生みの女神様が死んでしまうということ。

 

 

イザナミは火の神を生んだことで死んでしまうのですが、イザナギは亡き妻会いたさに黄泉の国まで追いかけます。あろうことか、イザナミは黄泉の国では魑魅魍魎の姿になっていました。姿を見られたイザナミはイザナギを殺そうと追いかけ、逃げるイザナギは黄泉の国の出口を大岩でふさいでふたりは引き裂かれてしまうのです。

 

 

女性性が封印された根本は神話にあったのです。

 

 

神話で気づかされることは女神の殺され方が悲惨だということ。イザナミは火の神様を産んだ時に陰部を焼いて死んでしまうとか、機織りの道具が女神の陰部に刺さって死んでしまうとか、箸墓伝説の女神は陰部を突いて死んでしまうとか、とにかく死んでしまう女神は皆一様に「陰部が致命傷になって殺されている」のです。

 

 

女神さまを神話で辱めて殺しているなんて・・・。

 

 

そして男神は平気で殺しをやる。イザナギはイザナミが死んでしまった原因だとして息子の火の神を惨殺し「バラバラに切り刻む」のですよ。

 

 

神殺しあり、辱めあり、バラバラ殺神あり、嫉妬あり、兄弟げんか多数あり。とても神様とは思えない所業の数々・・・。これ書いた人、ゼッタイ日本(縄文)人ではありませんねえ。

 

 

ことの発端はイザナミを神話で殺してしまったことが問題なのです。その結果、生と死の世界を作ってしまった。これは二極性を示しています。

 

 

あろうことか、女神さまが魑魅魍魎の姿に変えられてしまっている。これは女性を穢していることになるのです。

 

 

黄泉の国であろうともイザナミは神々しく光り輝く女神さまであられる姿が本当なのです。

 

 

この三次元物質世界は、潜象界で集合意識を構築してはじめて現象化するしくみです。「記紀」が書かれた8世紀ではおそらく中央集権国家を作るために必要な集合意識を構築するために必要なツールが「神話(歴史書)」だったのだと思います。それまで日本という「国」なんてなかったんですから・・・。

 

 

国生みの女神を辱め殺し穢して女性性を封印し、元祖ヒーロー・スサノオをアンチヒーローに貶め、皇祖神となるべき太陽神(ニギハヤヒ)を封印するために原日本人(ナガスネヒコ)を国賊にして抹殺した物語を「正統なる」日本の歴史書にした・・・。

 

 

 「正統なる」神話にはあこがれや夢や希望を抱かせてくれる神様は出てこないのです。あくまでも神話でヒーローと言ったら神武(イワレビコ)なのです。

 

 

8世紀のころから日本人は刷り込みを受けてきたというわけですね。日本人は長きにわたり自尊心を傷つけられてきたのです。自虐史観は近代に始まったことじゃなかったのです。

 

 

ともかく、アンチヒーローの復権と女性性の復活。これこそ日本人が最も取り戻さなければならないことだとわかりました。

 

 

 

『君の名は。』にもアンチヒーローがいた!


 

 『君の名は。』のヒロイン三葉さんのお母さん(二葉さん)はすでに亡くなっています。みつはのめのかみ(三葉さん)の母はイザナミですから、二葉さんの死はイザナミの死を暗示しています

 

 

そしてお父さんはおばあちゃん(一葉さん)とけんかして宮水神社を追い出されます。これは出雲と伊勢の対立構造を暗示しています。ふたりは長い間和解できずにいましたが、彗星落下の大災害時に、町長であるお父さんが町民を避難させて人命を救った英雄だと世間で評価されるのです。ズバリお父さんはスサノオです。

 

 

下はラストシーンで瀧くんと三葉さんが出会うシーンです。階段横に「須賀神社」が写っていました。祭神はスサノオです。須賀の地(出雲国)はスサノオが最初に治めた地です。

 

 

スサノオは出雲国を建国した後、越前、加賀、能登、長門、筑前、豊前にも遠征し、小部族国が乱立して争っているよりも、話し合いで大同団結し、住みよい国づくりを目指して武力に頼ることなく倭国(和国)を建国したのです。

『君の名は。』より「須賀神社」
『君の名は。』より「須賀神社」

 

瀧くん(ニギハヤヒ)が三葉さん(みつはのめのかみ=瀬織津姫)を見つけ出す表のストーリーの裏に、お母さん(イザナミ)とお父さん(スサノオ)の役柄から、日本神話の核となる相関関係が浮かび上がってきました。この映画にも表裏で読み解けばアンチヒーローの復権と女性性の復活・縄文の封印解除が暗示されていた作品だとわかりました。

 

 

 

熊野の地はスサノオを隠して祀っていた


 

スサノオは女神アマテラスの弟でありながら人間界に追放された国津神(出雲系)です。出雲と熊野三山は密接な関係にあるようです。

 

 

筆者は2006年ごろからなぜか熊野の地が気になって熊野三山を7回くらい参拝したことがありました。(この地に行くのはとても大変なのです)最も多く参拝したのが熊野本宮大社で、手を合わせていた時になぜか突然涙が流れて「リュウを主人公にして小説を書きなさい」と言われたように直観しました。それで書いたのが長編小説でした。

熊野三山
熊野三山
熊野本宮大社 (筆者撮影)
熊野本宮大社 (筆者撮影)

 

長編小説では戦いの世界を書きました。剛拳師匠とリュウ・ケンの弟子の闇稽古のシーンを、合気道開祖・植芝盛平翁とその高弟である塩田剛三師範との真剣勝負のエピソードをモデルに書きました。塩田剛三師範は「格闘技の神様」と呼ばれた方でした。

 

 

小説執筆中に、なんと開祖の直弟子でもあり、塩田剛三師範の後輩でもあるA先生(当時78歳)と出会いました。筆者は素人なのにA先生から合気道場を開設・指導者になるよう要請されました。A先生によると「これは大先生(開祖)の思し召しだった」そうです。そのころ筆者も開祖からのサポートをいただいていました。数年後、稽古中に「これで終い!」と開祖から声?がしまして、お役割を終えさせていただいたのでした。

 

 

それから約8年後となる2017年10月。この記事を書いているときに、開祖が熊野本宮大社のある和歌山県田辺市出身で、熊野三山と密接につながっておられたことをはじめて知りました。

 

 

http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/000200/nagomi/web/nagomi03/specialfeature-p4/
【特集】世界遺産登録から3年 再発見、世界遺産「高野・熊野」

 

 

熊野本宮大社の主祭神は「家都美御子大神」という神様で、ご参拝させていただくたびに謎の神様だと思っていたのですが、その正体はスサノオだとわかりました。熊野はスサノオゆかりの土地だったために、神武は荒ぶる神に手こずったのでしょう。そして熊野の住民は大和朝廷に配慮してスサノオの名を隠して祀っていたのだと思いました。

 

 

不思議な縁で2017年の夏、戸籍謄本が出てきまして、筆者の婚家の先祖が和歌山県新宮市にある宇久井(うぐい)に住んでいたと判明しました。宇久井は神武東征の際に丹敷戸畔(ニシキトベ)さんが惨殺された土地なのです。熊野三山を参拝する際に何度も通っていましたが、当時は何も知りませんでした。

 

 

「地玉(じごく)の浜」も「赤色海岸」も神武によってたくさんの人々が惨殺されたいわくのある地名がつけられています。

神武東征の地・宇久井(和歌山県新宮市)
神武東征の地・宇久井(和歌山県新宮市)
筆者の戸籍謄本
筆者の戸籍謄本

 

神武がわざわざ紀伊半島をまわって女酋長や豪族たちを惨殺してきた理由がなんとなくわかったような気がしました。出雲系が治めている土地に住むリーダーを殺すことで伊勢系がその地を抑えることになるからだと。

 

熊野本宮大社 (筆者撮影)
熊野本宮大社 (筆者撮影)

 

熊野大権現は縄文の神です。すなわち出雲系国津神。高天原から追放されたスサノオは、降り立った出雲の地で人間界を荒らすヤマタノオロチを退治した後、住みよい土地にすべく国づくりに尽力されたのです。

 

 

話し合いで共存共栄の道を探るというのが、スサノオの国づくりに賭けた信条だったそうですスサノオにとって「和」がいかに重要であるかは「倭国=和国」の名が示しているとおりです。

 

 

スサノオは出雲をはじめ、山陰から北陸、瀬戸内、中四国、そして九州諸国の一部を除いて平定・統合し、連合和国(豪族の連合体)の建国に成功しました。その後、筑紫を統治していた四男・オオトシ(のちのニギハヤヒ)に大和東遷を命じて、故郷出雲に帰国したのだそうです。

 

 

ニギハヤヒはこのような偉大なご尊父のもとにお生まれになられた和魂(にぎみたま)ですから、優しき神様です。親子でも陰陽の関係があり、荒魂の父には和魂の息子という図式があてはまります。大和の豪族ナガスネヒコは荒魂だったからこそ和魂であるニギハヤヒと相性が合い大和国の建国が大成功したのだろうと筆者は思います。

 

 

ニギハヤヒはスサノオが建国した「和国」をもとにさらにすばらしい土地にしたのが「大和国」でした。それは大調和の国だったのです。

 

 

気づかされたのは、スサノオやニギハヤヒ(出雲系)は中央集権国家ではなく地方自治をしたということです。伊勢系は高天原も人間界もすべてアマテラスの支配下におきたいがために、国津神(出雲系)がつくった国さえ統治しようとしたのです。それが中央集権制、すなわち持統天皇の推し進めた律令制度(大宝律令)なのです。

 

熊野速玉大社 (筆者撮影)
熊野速玉大社 (筆者撮影)

 

スサノオはその名のままで祀られている神社は多々ありますが、大山祇(大山積 大山津見)と改ざんされた名で祀られた神社も全国に一万一千社もあるのだそうです。いかに人々に慕われてきた神様だったかがわかります。『日本書紀』では根の国に葬られたスサノオはその偉業とともに葬り去ろうとした意図がうかがえます。裏返せば、伊勢系にとっていかにスサノオが脅威だったのかがわかります。

 

熊野那智大社 (筆者撮影)
熊野那智大社 (筆者撮影)

 

ヤマタノオロチを退治した際、オロチから生じた剣が三種の神器・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)です。草薙の剣とも言います。スサノオはこれをアマテラスに献上しに高天原に行くのです。

 

 

アマテラスは弟が反乱を起こしに来たと疑い、武装するのです。スサノオは他意はないとして、占いを提案します。これがアマテラスとスサノオの誓約(うけい)です。

 

 

スサノオが潔白なら、生まれてくる子が女の子、アマテラスの疑いが正しければ男の子としましたが、生まれてきたのはなんと三柱の女の子でした。これが宗像(むなかた)三女神です。これでスサノオの潔白は証明されました。(追記:この記事を書いた翌日、この記事がアップされました「両陛下、宗像大社を参拝」)

 

 

 

スサノオは素直でエゴがないのです。その素直さがアマテラスを恐れさせたのかもしれません。(追記:スサノオの文字の中に「スナオ」が隠されていますね)

 

 

弱い者を守り、厄災を振り払う勇気ある心の清らかなヒーロー・スサノオ。そのヒーロー像が元型となって男の子のあこがれ的存在として後世に受け継がれているのは、日本人の遺伝子にスサノオの魂が刻み込まれているからなのです。

 

 

けれども文明が変わってしまったために、ヒーローはアンチヒーローの汚名を着せられることになってしまいました。神話はスサノオのような勇敢な男性像は貶められ、女性を蹂躙し切り刻んできた神武がヒーローとして持ち上げられた内容になってしまいました。

 

 

神武のヒーロー像が弥生人のメンタリティに転写されているということが、日本人は2680年間体験してきて学んでまいりました。そして今まで隠されてきた実態が最近になってようやく表のメディアに取りざたされはじめました。 

 

 

 

 

ナガスネヒコの復活にはスサノオの復権が必須だ!


 

筆者は「正統なる」歴史書ではスサノオの偉業は史実から葬られていること、神話ではアンチヒーローに貶められていることに気づかせていただきました。前回の記事を書き終わるころに、スサノオこそ真のヒーローの神様であることを伝えなければならないと強く観じ、涙となって受振させていただいたのでした。

 

 

けれども神様のことを書かせていただくことはあまりにも恐れ多くてなかなか記事を書けませんでした。そこで「書かせていただいてよろしいのでしょうか?」とお伺いしましたら、このような形でお答えくださいました。

 

2017年10月26日の筆者のレシート
2017年10月26日の筆者のレシート

 

 

男性は健全なる男性性を取り戻し、内に秘めたる女性性を見つけて結魂(結婚)することが重要なのです。これがアンチヒーロー復権のカギです。

 

 

健全なる男性性とは、愛へと方向性をしっかり定めて突き進む力を言います。内に秘めたる女性性とは受け止める能力、すなわち包容力をはぐくむことです。これらに必要なのは勇気です。

 

 

愛とは無形無双の生命であり万物の本質ですから、自我(エゴ)以外の一切すべてです。ゆえに自我意識では愛に共振できません。

 

 

勇気とは外に向かうのではなく、自らの内側に向かうものです。それは「自分を知る」ということです。

 

 

すなわち「エゴを捨て去り、自分を知り受け入れる」ということです。それは自己愛を取り戻すことなのです。

 

 

愛と勇気の両面がバランスよく備わったなら、男性はヒーローへと変容を遂げるのです。

 

 

 

ナガスネヒコ(日本人)の復活を果たすためには、スサノオの復権が必要だと前回(その8)の記事を書き終えてから深く気づきを得ていました。

 

 

ナガスネヒコとニギハヤヒの主従関係はまるでスサノオとニギハヤヒの親子関係のごとく深い信頼関係で成り立っています。荒魂(あらみたま)と和魂(にぎみたま)の組み合わせは剛柔一体という言葉がよく響き合います。

 

 

ところで戦国武将の名前に「長」の付く武将がいます。浅井長政と織田信長です。

 

 

日本人男性にはナガスネヒコの血が流れています。戦国武将は世界最強でした。

 

 

前回の記事を書き終えた後、たまたまNHK再放送で歴史ヒストリアを見ました(おそらく見せられたのです)

 

 

長政と信長は全く正反対の性格の武将です。彼らの守護神は誰なのか? 長政はニギハヤヒ。信長は神武であることがよくわかると思います。ぜひごらんになって確かめてみてください。

 

 

このシリーズはまだ続きがあるようです(笑)