天女昇天

 

 

 

 目が覚めると、春麗はそこにいなかった。俺は上半身を起こして周りを見回した。小屋には人気がない。外に出てみると冷たい空気が俺を包んだ。まだ日が昇り切らない早朝だった。

 

 

 ご神体の滝に手を合わせてから温泉へと向かった。そこには岩に座っている春麗がいた。

 

 

一糸まとわぬ姿でピンク色にほてった肌を風にさらしている。腰からボリュームある尻のラインに続くダイナミックな大腿部と、大きく突き出した乳房は堂々たる曲線を描いている。その頂には誇らしげにそそり立った突起が見る者を魅了する。そんな姿で腰まで伸びた長い髪をかき上げる仕草は息をのむほど美しかった。美術館の石像のような完全な美を俺は見ていた。

 

 

その姿はまさに天女のようだった。人間の男が天女のあまりの美しさに天の羽衣を隠して天に帰れなくした話を昨日春麗から聞かされた。今の俺はその男の心境がよくわかる。春麗を自分のものにしたい欲求が昂じるたびに上海に帰したくない思いが強まってくる。

 

 

 神はよくぞ女という生き物をこの上なく美しく作り上げられたと思う。同じ人間とはいえ、男とは形態も性質も真逆の生き物なのが女だ。男が女に惹かれるのは、もともとはひとつだったのが分かれてしまったからなのだろう。魂の片割れを見つけてしまったら融合したい欲求はすさまじいものがある。そして実際に変容を起こす。まるで閃光のごとく化学反応が体内で起きたかのような。

 

 

クンダリーニ上昇の秘術の究極はタントラであり仙術だ。これは男女ふたりでなければ為しえない。道を求めんとする修行者は、これを自身の中の男と女を結合させ、自分自身が新生児となって生まれ変わろうとするために励むのだ。

 

 

その手段の一つとして、女人結界に身を置いて男が永遠に体験できない出産を疑似体験しようとするのである。命がけの逆さ吊りや胎内くぐりなどの行は出産の恐怖と痛みや苦しみを受け容れ、自身が新生児として生まれ変わり、新たな境地へシフトしようとする行為なのだ。

 

 

ただ、その行で覚醒に至るのは至難。男女の交合によって生み出すエネルギーは禁欲の行よりもすさまじいものがある。俺自身がそれを体験している。

 

 

昨日の春麗は普段とは違い、妖艶で官能的な美を惜しげもなく表現していた。全身の器官を全開にして悦びを全力で感じていた。一方で俺はこれまで抑圧してきた欲求をすべて解除して春麗の深い愛の中に泳がされていた。

 

 

あれほど情熱的に愛を交わし合えたのは、人工の閉ざされた空間ではなく、大自然に身をゆだねていたからなのだろうか。俺も大自然を前にして春麗を抱いたとき、俺の中に眠っていた野生の遺伝子――おそらく封印していた縄文の記憶の鍵が開いたのだろう。その感覚というのは筆舌に尽くしがたいものではあるが、春麗を抱いていながら地球を抱いているかのような、全存在を自分ひとりが抱擁しているような感覚だった。それをひとことで言えば「無敵になった」ということだ。

 

 

敵も味方もない世界を創りだそうとするならば、自身の中の男と女を融合させねば為しえない。そのためには太古の人類の記憶を取り戻し、左右に分断された思考経路の再結合を果たすことが大事なのだ。

 

 

俺は服を脱ぎ、春麗のそばに近づいた。春麗は俺を見るなり恥じらいもせず満面の笑みで両手を広げ、豊かな胸で俺を抱きとめてくれた。その姿がまさに天女なのであって、その振る舞いこそが天衣無縫というのだと思った。俺は夢中で天女にキスのシャワーを捧げた。

 

 

「昨日はよく眠れたか?」

 

 

「ええ。とても爽快な目覚めだったわ。最後にもう一度温泉に入っておきたかったの。朝の露天風呂は最高だったわ」

 

 

「最後なんかじゃない、また何度でも来られるさ」

 

 

さっきまで霧がかかっていたこの場所にまばゆい光が差し込んできた。太陽光線が霧を一気にかき消し、あたりが黄金色に染められていた。春麗は湯につかってその光景を見ていた。

 

 

「きれい・・・。あなたはちっとも孤独なんかじゃなかったのね。それに何も持たなくても、いつだって自然からすべてを与えられていたのね。ここはいつもきれいな空気や水に満ちあふれていて、滝や温泉や星空があなたを見守ってくれていたんだわ。ひとりでお湯につかってみてやっとそのことに気付いたのよ」

 

 

「よくわかったな。おかげで身軽に放浪してこられた。でもな、ここが特別なわけじゃない。地球上すべてがそうなんだ」

 

 

「確かにそうね。私たちは自然にもっと感謝しなくちゃいけないわね。・・・ねえ、あなたまた夢に近づいたんじゃない?」

 

 

「何でそう思う?」

 

 

「あなたの笑顔がとても素敵だから」

 

 

「今までずっと迷ってばかりいたからな。でももう迷わない。春麗を見つけたから」

 

 

 俺は早く春麗とひとつになりたくて湯の中で春麗の身体のあらゆる部位に触れていた。ことに春麗の敏感な部分を入念に触れると、春麗は声を上げて悦びを露わにした。

 

 

 男は硬さの中に柔らかく敏感な部分があり、女は柔らかさの中に硬く敏感な部分がある。男が女の「芯」の部分をとらえてクンダリーニ上昇すれば、相手と一体化して新しいエネルギーを創造することができる。これこそ人間が生み出せる反重力の正体なのかもしれない。もしかしたら、昇龍拳をさらに進化させられるかもしれないというひらめきを得ていた。春麗の中に俺のすべてを捧げた忘我の境地で。

 

 

「春麗、俺、新しい必殺技を思いついてしまったよ。春麗のおかげで」

 

 

「そうなの!?」

 

 

「ああ、今度あの滝で試してみる。名付けて『真・昇龍拳』だ」

 

 

「すごいわ! この二日間でものすごく前進したわね」

 

 

 人間の想像力というのはあらゆることを生み出す可能性を示してくれる。そしてそれを実際に創造することができる。格闘の道は果てなき道。その道は自分で創造していくのだ。まだ誰も見たことのない境地でさえ切り開いて行ける。

 

 

「わたしも夢がかなうといいな」

 

 

 春麗ははにかんで下腹部を触れながら言った。

 

 

「あなたの赤ちゃんを身ごもっていたらいいのに」

 

 

「春麗・・・」

 

 

「ずっとあなたの赤ちゃんをたくさん産みたいと思っていたの。子どもたちに囲まれて暮らすことがわたしの夢だったから。ずっと願ってもかなわない夢だと思ってた。だって、どんなにがんばっても自分ひとりじゃ妊娠できないから」

 

 

 そうだった。人間の最大の創造力は生命を生み出すことだ。俺は春麗の思いに感激してしまっていた。お互い家族に縁の薄い者同士だからこそ、家族へのあこがれが根底にある。春麗の夢に胸を打たれた俺は春麗を抱きしめた。

 

 

「いちばん大事なことを待たせてすまなかった、春麗。俺たちで家族をつくっていこう」

 

 

「うん!」

 

 

「必ずおまえを迎えに行くからな。夢はふたりでかなえるんだ」

 

 

 来週の世界大会は必ず優勝してみせる。そして優勝の証を春麗に託すんだ。その時俺は誓うよ。生涯春麗を守り抜くことを。俺は心の中で強く決心していた。

 

 

 

 

 星の見えない夜空をずっと眺めていた。

 

 

 俺の半分はついに飛び立ってしまった。別れてしまっても欠乏感はもうない。俺の半分はどこにいて誰を思っているのか、何を夢見ていたのかを知っているから。人は誰しも自分の半分を探して生きている。けれどその願いは煩雑な日常に押し流されて見えなくなっていく。

 

 

 人はもともとひとつだったが、半分に分かれて体験することを許された。そして半分同士がもう一度出会ったら、どんなふうにひとつになるのかを試されていたのだ。半分だけの人生と半分同士がひとつになってからの人生の二通りを体験してみて答えがわかる。そんな単純なことを、この世界は壮大な規模で繰り広げられている。

 

 

 縄文の記憶は今の逆を体験してきたことを思い出させてくれる。ひとつだった頃の記憶を取り戻し、半分になってしまったこの時代に思い出すことができたら、もう半分を見つけることができるトリック。それが男と女の出会い。

 

 

 戦い続けてきた人生だったが、今なら半分を探し続けてきた人生だったとわかる。俺の戦いは別のステージに上がったような感覚が芽生えている。それが何かを探す人生がこれからの俺の新たなる挑戦なんだ。