海へ

 

 

 

 秋の紀伊半島はちょうど紅葉が見ごろだった。真っ青な空と穏やかな群青の海。山は葉っぱのグラデーション、谷は深緑の川やほとばしる滝。そして隣には愛するリュウがいる。わたしはリュウと一緒に日本の秋の風景を見に来られて本当によかったと心から思った。

 

 

 お互いのスケジュールが合う日がちょうどこの日でよかった。お互いの休日を照らし合わせてぎりぎり一泊二日。本当はもう少し長くいたいのだけれど、また会いに行けばいい。わたしたちは事実上、遠距離恋愛というわけなのだ。

 

 

 ドライブ中に、リュウはファイターとして表舞台に立つようになってからの数々のエピソードを話してくれた。話してくれる様子からとても楽しんでいるようだった。

 

 

「よかったわね。あなたの活躍の場ができて。それに、あなたのファンもたくさんいるみたいだし」

 

 

 空港での出来事を思い出して言ってみた。

 

 

「今度は街であなたと腕を組んで歩いてみたいわ」

 

 

「俺は構わないぞ。むしろ春麗となら光栄だよ」

 

 

 リュウは屈託のない笑顔で言った。リュウは本来とても楽観的な人なのかもしれないと思った。もともと飾らない人だから。

 

 

「海辺まで行こうか」

 

 

そう言って、リュウはクルマを止めた。道路沿いから海辺までは少しの距離を歩く。海から吹く風が心地いい。波の音を聞きながらわたしたちは言葉を交わさずただ、手のひらのぬくもりを伝えあいながら歩いていた。

 

 

海を見渡してみると遠くに漁船が見える。わたしはところどころに落ちている貝殻を見つけては拾っていた。大きくてきれいなピンク色の宝貝を見つけたわたしは、リュウに見せたくて呼びかけようとした。

 

 

「リュ・・・」

 

 

リュウは広い太平洋を静かに見つめていた。わたしの目には、求道していた孤高の格闘家としてのリュウの姿が重なって見えた。呼びかけるのをやめたのは、リュウは今、答えを見出そうとしているように感じたからだった。リュウの根底には本人にしかわからない何かが息づいている。あれほど強烈に強さを求めなければならなかった何かと、リュウの理性でさえ制御しきれない狂気を呼び起こす何かが。

 

 

それはどんなに他者が愛をもって手を差し伸べても、リュウにしか導きだせない答え。リュウの遠い目を見るたびに、刑事として追っていた自分の無力さを思い出す。自分とリュウとの間に共有しえない何かがある限り、どんなに近くにいてもリュウが遠くにいるような感覚に陥ってしまう。それは今も変わらない。けれど殺意の波動を克服した今ならば聞けるかもしれない。女人結界に身を投じてまで求め続けなければならなかった何かの正体を。わたしはリュウのそばに歩み寄った。

 

 

「不思議ね。ここに立つと時間が止まったように感じるわ」

 

 

「ああ」

 

 

 リュウは目を閉じていた。

 

 

「ねえ、リュウ。ずっとあなたに聞いてみたいと思っていたことがあるの」

 

 

「ん?」

 

 

「あなたはどうしてあれほど強烈に強さを求めていたの?」

 

 

「そうだな・・・」

 

 

 その一言の後、しばらく波の音がわたしたちの沈黙をかき消していた。

 

 

「確かに俺は、内側から突き上げる強さへの欲求がどこから来るのか、自分でもよくわからなかった。でもな、春麗」

 

 

「ええ」

 

 

「今ならわかる。この波打ち際に立って波の音を聞いていると記憶がよみがえってきたんだ」

 

 

「聞かせてくれる?」

 

 

 ひとつうなずいてから、リュウは話し始めた。

 

 

「古代の日本で俺はある一帯を治めていた。皆が仲良く豊かで平和に暮らせることをいちばんに思っていた。あるとき、侵略者が俺の治める豊かな土地を譲れと迫ってきた。俺は大切な土地を奪われまいと、何度も戦って侵略者を追い払ってきたんだ」

 

 

 わたしは黙ってうなずいた。

 

 

「俺の一族には奪うという概念がなかった。だから戦いといえども命を奪いはしなかった。相手があきらめるよう、知略を駆使した上での防衛戦がほとんどだった。だが、相手は性懲りもなく攻め入るルートを変えてここの海岸線から北上してきた。侵略者はその土地に住む女たちを凌辱の限りを尽くして惨殺したんだ。そのためにこの海は血の色に染められたいわれから『赤色海岸』と言われている」

 

 

「えっ!?」

 

 

 あまりのショックに、わたしは両手で口元を抑えた。この海岸につけられた名前がリュウの記憶と重なっていたとは知る由もなかった。

 

 

「ここがそんな悲しい海岸だったなんて・・・」

 

 

 記憶を取り戻したリュウの目は悲しみが映し出されていた。こんな寂し気なリュウをわたしは久々に見た。わたしはリュウの手を握った。何も言えなくてもリュウの悲しみを分かち合いたかった。

 

 

「俺は女たちを守れなかった自責の念に駆られた。無駄な殺戮を阻止することができなかった後悔の念に打ちひしがれていた。それで俺はほんの一瞬だが、侵略者に対して殺意を抱いてしまったんだ。それが・・・」

 

 

「殺意の波動・・・?」

 

 

リュウはわたしの言葉に静かにうなずいた。

 

 

「現代ならば情状酌量の余地があったかもしれないが、古代人の価値観で『殺意』はあり得ない感情だった。たとえ侵略者が殺戮を繰り返していたとしても、俺は族長として決して許されない感情を抱いてしまったんだ」

 

 

わたしの脳裏に浮かんだのは、リュウの魂が守りたい思いが強かったがために殺意の波動に転じてしまったイメージだった。

 

 

そのイメージは切り刻まれたおびただしい屍の山と、そこから川に流れ込んだ血が海を赤く染めていった様子を映し出していた。その光景を目の当たりにした者は、誰しも精神崩壊してしまうであろうことは容易に想像できた。いくら普段穏やかな族長であろうと、阿鼻叫喚の地獄絵図を目の前にすれば、我を失ってしまったことは無理もないと思った。

 

 

もしかしたら、一族の長として女性たちを守れなかった自責の念が、リュウを女人結界に身を置いて修行に没頭する行為へと突き動かしていたのではないだろうか。そして女性たちを守り抜くための強さを強烈に魂が欲していたからではないだろうか。わたしはなぜかその思いに溜飲が下りていた。

 

 

わたしはリュウの手を握り、鍛え上げられた腕を抱きしめていた。何度も砕いてきた拳に込められたリュウの魂に寄り添いたかった。

 

 

「あなたは豊かな土地とそこに住まう人々を心から愛していた。皆が幸せであることがあなたの誇りだった。だから人々を命がけで守りたかった。なのにいちばん大事なものを奪われた悲しみと命を守り切れなかった無念さが、何度生まれ変わってもあなたの記憶に刻み込まれていたのね」

 

 

 リュウが強さを求め続けてきたのは、守りたいという純粋な思いが遺伝子に刻み込まれていたからだったんだ。悠久の時へと思いを馳せてみて、過去と現在は同じだということを思い知らされた。現在は過去のやり直しができるよう用意された時空間なのかもしれない。そんな思いをめぐらせながら空と海との境界線を見ていた。

 

 

「ベガはかつての侵略者の生まれ変わりだった。かつての俺が侵略者の思いを受け止めていたならば、戦いを長引かせることなくたくさんの命を無駄にすることはなかったんだと今ならわかる。俺に欠けていた資質は受け止めることだったんだ。今生で春麗がそれを授けてくれた。俺は春麗と出会わなければ、ベガとの因縁を解き放つことはできなかった」

 

 

 そう言ってリュウは右手を見つめていた。答えを求め続けていたあの時のように。

 

 

「それは、あなたがわたしを受け止めてくれたからよ」

 

 

 リュウはわたしを見た。

 

 

「シャドルー壊滅作戦で、一緒に戦いたいというわたしの思いをあなたは受け止めてくれた。あのときは本当にうれしかったのよ。あなたは遠い存在だったから」

 

 

 はじめてリュウと握手を交わした時を、鮮明に思い出していた。

 

 

「あなたはもう自分を責めることはないのよ。この地で亡くなった女性たちがそう言っているような気がするの。あなたはベガを受け止めてわたしを守り抜いてくれた。この海に血を流した魂たちも同時に解放されたように感じるの」

 

 

 重く淀んだ空気が、風に吹かれて清浄になっていったのを肌で感じていた。リュウの心も同じように浄化されただろうか。

 

 

「春麗とここに来られて本当に良かった。ありがとう」

 

 

「あなたが連れてきてくれたおかげよ。不思議ね。わたしたちはきっと何度も何度も生まれ変わって、一緒にこの海を訪れたいと思っていたのかもしれない。そんな気がするの」

 

 

「ああ、そうだな。その通りだ」

 

 

 そう言ってリュウは優しく微笑んで肩を抱きしめてくれた。

 

 

「あなたはずっと悲しみをひとりで背負ってきたのね。たったひとりで・・・」

 

 

「でももうひとりじゃない」

 

 

 わたしたちは引き寄せられるように唇を重ねた。今日のキスはいつもとどこか違っているように感じた。

 

 

「行こう。旅はこれからなんだ」

 

 

 そう言ってきびすを返したリュウの後ろ姿を見つめてから、そばに駆け寄ったのだった。