女たちのゼネラルストーリー(司令官物語)

 

~夜明けの晩に~

 

 

 

ローズ女史

 

 

 

 近年著しく世界情勢の悪化に拍車がかかり、ICPOとしては何から手を付ければよいのかわからないほど複雑で困難な世界となって来ている。かつては麻薬捜査官として麻薬の裏をたどりさえすれば、悪の組織の本丸を突き止めることができた。それがシャドルーだったのだけれど。

 

 

 連続ハッカー行方不明事件が発覚してからというもの、上空に突如現れた黒い月の調査のために特別捜査隊を編制したものの、ICPOは完全に翻弄されてしまっていた。

 

 

 混沌を極めたと言える事象に、世界の終わりを予感させられたのは、わたしだけではなかった。神月家から急きょ招集の号令がかかったことがそれを物語っていた。神月家は世界中に点在している一流格闘家を日本の地で集結させるため、御庭番に協力の要請を指揮していた。

 

 

 かりんさんを当主とする神月家は、ただの超大金持ちではない。日本の国家機密を担う裏組織「八咫烏(やたがらす)」だ。その正体は裏天皇。表の座に就く権力者は台本通りに動く操り人形に過ぎなくて、実質彼らを動かしているのが神月家なのである。隠密を使役して世界中に情報網を張りめぐらせて裏から情報を発信し、世界中の王侯貴族とコネクトしている。そんな理由からICPOとしても神月家の動向を常に注視していた。

 

 

「あら、ローズさんも? まさかここであなたに会えるなんて」

 

 

 神月家の客室の片隅のテーブル席には、かつてシャドルーに関わっていた女性占い師・ローズさんがいた。あれから何年も経つというのに、美貌は当時のままだ。ローズさんは占い師でありながら、格闘の世界で実戦をくぐり抜けてきた異質の人物だった。ミステリアスな雰囲気もそのままだった。以前から年齢不詳だったけれど、ローズさんの時は止まったままのようだ。

 

 

「久しぶりね、あなたのチャイナドレス姿、すごく素敵よ。それに、とても美しいわ」

 

 

 ローズさんは片手にワイングラスをくゆらしながらウインクした。

 

 

「ありがとう。あなたもシャドルー壊滅作戦に参戦を?」

 

 

「うふふ。あなたとともに戦いたいところだけど、今回は裏方なのよ」

 

 

「ちょっとした同窓会ですわね」

 

 

かりんさんが黒スーツ男の側近を引き連れて颯爽とこちらに近づいてきた。金髪縦巻カールの髪は高校生だった頃と変わらない。神月家の当主となってからもより一層かりんさんの存在感をアピールしていた。

 

 

「ローズさんは、神月家お抱えの指導者(メンター)ですのよ」

 

 

 わたしはかりんさんとローズさんとのつながりに納得がいった。

 

 

「当家の究極秘伝奥義は漢波羅(カバラ)。格闘術など、たしなみのひとつにすぎませんのよ」

 

 

 わたしははじめて耳にする言葉に要領を得ず、首をひねった。

 

 

「カバラは古くからある秘術なの。タロット占いもカバラなのよ。カバラは『生命の樹(セフィロト)』の原理であり、日本は古くから『生命の樹』の配列のとおりに地形と方位を利用して結界が張り巡らされているの。神月家は裏の陰陽師で漢波羅の使い手。わたしはときどきかりんさんに呼ばれて日本に来ていたのよ」

 

 

 やはりローズさんは秘められた謎のキーを握っている人物のようだ。彼女がここにいるのは至極もっともなことだと思った。

 

 

「この世界を動かすには、霊力あるメンターが必要不可欠ですのよ。ローズさんの霊力は、あのベガさえ欲しがったほど。敵を知るためには敵の内通者を味方につけるのは、常套手段ですわ」

 

 

 そういえば、ローズさんはかつてベガのサイコパワーを封じるべく、ソウルパワーを使い果たしてしまったことを思い出した。

 

 

「ファイターの方々が揃われるまで、まだ猶予がございます。それまでどうぞ再会を楽しんでいらして」

 

 

 かりんさんはウェイターに何やら指示した後、側近とともに客室を出て行った。

 

 

「あの黒い月はベガの仕業よ。あれはただの爆弾じゃないわ。おそらく核爆弾よ」

 

 

「えっ!」

 

 

とっさに思いついたのは、世界の危機というよりも、この惑星の終わりだった。

 

 

「とうとう、ここまで来てしまったのね。あのときはまだ、テクノロジーが今ほど発達していなかったから、わたしも油断していたわ」

 

 

 ローズさんは言った。その憂いを帯びた横顔さえも美しかった。

 

 

「わたしはベガを……あの人を止めることができなかった。止めるべきだったの。いのちと引き換えにしてでも」

 

 

「あの人?」

 

 

 ただならぬ関係だったような言い方に、思わず反応してしまった。

 

 

「もう昔のこと。だけど、取り返しのつかないことをしてしまったと今なら思うの。あの人の目にまだやさしさが残っていた頃に、決着をつけておくべきだった」

 

 

「決着?」

 

 

「ベガのサイコパワーを相殺できるエネルギーは、ソウルパワーだけだった。ベガはわたしの能力を正しく使えば素晴らしいサイコパワーに変容できたはずだった。けれど、あの人はその能力を人類支配のために使うことに目がくらんでしまった。わたしはベガの欲望を制御することができないとわかってからは、ソウルパワーを悪用されることを避けてベガと袂を分かつことになったの」

 

 

 無念を残したローズさんの目を見て、ベガにもかつては人間の部分が残されていたことを知った。

 

 

「ローズさん。もしかして、ベガのことを……?」

 

 

 わたしの言葉に、遠くへ思いをはせていたローズさんの視線はこちらに戻った。

 

 

「ええ。愛していたわ。彼は超人的な格闘術を体得したのみならず、卓越した先見性と的確な決断力と実行力を備えていた。そして天性のサイキック能力を洗練してサイコパワーを覚醒させたの。彼は司令官として必要な能力すべてがずば抜けていた。誰もがベガの能力を称賛し、尊敬していたわ。わたしもその一人だった」

 

 

わたしはローズさんの謎めいた過去に、ベガとの関わりがあったことは知っていたけれど、ローズさんから詳しいことを明かされたのははじめてだった。

 

 

「彼はわたしの能力を高く評価したわ。それが自分にない能力だということも知っていた。ベガはわたしのソウルパワーを自分のものにするために、わたしと関係を結んだの。そのとき、ベガはわたしを利用するためだとわかっていても、わたしは幸せだった。彼を独占している優越感さえあった。ベガはどこまでも自分本位だったけれど、ときどきわたしにだけ見せてくれるやさしさがあったのよ」

 

 

 信じられないでしょう? と言わんばかりにローズさんは頬杖をついて笑った。

 

 

「でも、ベガにとってやさしさは弱さに過ぎなかった。弱さを受け入れず、強さだけを洗練するにつれて、あの人のまなざしから光が消えていったのよ。ベガは愛を封印し、欲望を増大させる道を選んだのよ」

 

 

 そんな事情があったなんて……。ベガも人間としての自分を受け入れていたなら、シャドルーなど存在しなかったかもしれない。わたしはベガを憎むべき対象としてしか見てこなかったけれど、愛すべき人間でもあったのだと気づかされた。

 

 

「あなたにこんな話ができると思わなかったわ。あのときのあなたはまだ、かわいらしい刑事さんだったものね」

 

 

当時の私は、ベガを逮捕することにすべてをかけていた。若すぎてローズさんとベガが大人の関係だったことなど理解できなかったはず。ローズさんが当時のわたしに何も話さなかったのはもっともなことだと思った。

 

 

「あなたとここで会ったのも運命だわ。このことを人に話したのもあなたがはじめてだったのよ」

 

 

 翳りある笑顔を見せてくれるローズさんの心には、やさしかった頃のベガがまだいたんだとわかった。

 

 

「水晶玉が何か言っているわ」

 

 

 我に返ったようにローズさんは黒いベルベットの布から水晶玉を取り出した。水晶玉の上にしばらく手をかざしてから、ローズさんの口から言葉が出た。

 

 

「『なんで俺には招待状が来ないんだ!』……って誰かがわめいているわ」

 

 

 誰なのかを探るべく、ローズさんは両手で水晶玉から発する何かを注意深く読み取っていた。

 

 

「火引……ダン。そのそばにいるのは……さくらさんね」

 

 

 すごい、と思いながらことの続きを見守った。

 

 

「『サイキョーリューが世界を救うんだ』って言っているわ。それをさくらさんがなだめているわね」

 

 

 イメージがありありと目に浮かぶのが滑稽で、苦笑してしまっていた。

 

 

「ふふふっ、あのふたり、お似合いのカップルね。ちょうどいいバランスをとっているわ」

 

 

 確かに、夫婦漫才のような関係が彼らの愛の形なんだと思った。

 

 

「じゃあ、今度はあなたの番ね」

 

 

 ローズさんが急に話の矛先をこちらに向けたものだから、わたしは蛇に睨まれた蛙のように硬直してしまった。

 

 

「カバラはね、いつの世も王の秘儀であり真実を見通す奥義なの。本来は個人的なことを占わないのだけれど……。なぜかあなたを占わなくちゃいけない予感がするの」

 

 

 そう言いながら、ローズさんは使いこなれたタロットカードを黒いベルベットの布の上に置いた。そして手際よくシャッフルしながら呪文らしき言葉を口ずさんでいた。

 

 

「火と水」

 

 

 目を閉じたまま、ローズさんは言った。

 

 

「火と水?」

 

 

「ひのもとに御霊結(みたまむす)ひし火と水の……光生まれし新たなる夜明け……」

 

 

「ひのもと?」

 

 

 よく意味が分からない。

 

 

「日の本。日本よ。日本であなたが運命の人と出会って結ばれたなら、光輝く新時代を迎える……」

 

 

「光輝く新時代?」

 

 

「ベガは闇よ。闇は光でしか転じることはできないわ。シャドルー壊滅作戦の成功のカギは、火と水がひとつになって光を生むことなのよ」

 

 

 ローズさんは静かに目を開いた。

 

 

「あなたのツインは……彼ね」

 

 

 かすかな笑みを見せながらウインクした。わたしは思わず身を乗り出した。

 

 

「なるほどね。彼もツインを探している。自分では全然気が付いていないけれど」

 

 

「彼」が誰なのかを聞くのが怖くて、でも知りたくて。ローズさんはとっくに先を読んでしまっているようだけれど、わたしは何も聞けなかった。

 

 

「もしかしたら、世界を、この地球を救うのはあなたたちかもしれないわね。さっきから籠目紋が見えるのよ、籠目紋は六芒星。つまり水を表す六芒星(✡)と火を表す五芒星(☆)の統合は七芒星である光を生むの。夜明けの晩に鶴と亀が統(す)べったら、うしろの正面が誰かがわかるはず」

 

 

「夜明けの晩? 鶴と亀? うしろの正面?」

 

 

 よくわからないけれど、どれも正反対でありながら矛盾している。どういう意味なの?

 

 

「答えはあなたが出すのよ。占いはね、大難を小難にするためのものであり、人生の指針であって転ばぬ先の杖にすぎないの。だから人生はあなた自身で創造するのが本当なのよ」

 

 

「ここで何かが起きるの?」

 

 

「そのようにカードは言っているわ。あなたの使命は「彼」とふたりで為さなければ成就しないということよ」

 

 

 いつの間にか胸の鼓動が高まっていたことに気が付いて、胸元に手を置いた。「彼」が誰なのかは明確にされてはいないけれど、わたしの中では「彼」こそ赤いハチマキの日本人格闘家だという確信があった。けれど「彼」はどこにいるのかもわからない修行中の放浪格闘家。ICPOだって「彼」の居所をつかむのに手を焼いている有様。日本で「彼」とわたしのふたりで何を為せるというのだろう。

 

 

 かりんさんも作戦のために「彼」を待っている。けれどどこか浮世離れしている「彼」は、正義とか平和とかいった大義名分のために何かを為すとは考えにくい。けれど黒い月の出現に世界の異変を感じているはず。きっと「彼」はきっとここへ来てくれるはずだわ。

 

 

「日本語はね、文字に暗号が込められているの。漢字は重要キーワードよ。日本の『かごめ歌』に秘密が隠されているわ」

 

 

 庶民から権力者まで広く歌われている歌ほど暗号が隠されていると聞いたことがある。その真の意味は権力者にしか知らされていないとも。

 

 

「籠(かご)の中の十理(とり)、つまり真理が明かされるときはいつなのか。それは夜明けの晩、鶴と亀といった、相対する関係を統べったときにはじめて、籠から何かが解き放たれるの。籠の中にいるのは何だと思う?」

 

 

「漢字がキーワードならば、籠の中にいるのは龍だわ」

 

 

 ローズさんは口元に笑みを浮かべた。

 

 

「そのとおりよ。龍は日本人のことよ。籠の中で眠っていた日本人が、分離意識を一体化せしめたときに真理を悟って覚醒することになっているの」

 

 

 籠の中の龍……まるでリュウのことを言っているようだわ。殺意の波動を克服するためには何が必要なのかしら。リュウは何と一体化すれば覚醒するの? 思案しているわたしに、ローズさんはウインクした。

 

 

「ヒントをあげる。『うしろの正面は誰』なのか、答えを出してごらんなさい。あなたならわかるはずよ」

 

 

 

 そう言い残して、ローズさんはかりんさんの側近に呼ばれて部屋を出て行った。