第四部
王者と求道者
「ケン、リュウさんから葉書が来てるわよ」
イライザの呼びかけに、俺はパソコンのキーボードを叩く手を止めた。今日は1月1日。リュウからの葉書はおそらく、日本でいう年賀状のたぐいだろう。いつもは葉書なんてめったによこさないというのに、新年の挨拶だなんて、あいつにしたら殊勝じゃないか。
「あらっ、リュウさんと春麗さん、結婚したのね!」
「なんだって!?」
俺は立ちあがってイライザのそばに駆け寄り、葉書を取り上げた。確かに写真に写っているのは、結婚式の衣装に身を包んだリュウと春麗だった。
「春麗さんのウエディングドレス姿、とってもきれいね・・・。よかったわね、春麗さん」
イライザは俺の肩越しから葉書を取り上げると、うれしそうに言った。
「俺は何にも聞いてないぞ!」
何だかわからんが、俺の鼻息は荒くなっていた。
「いいじゃない、ふたりの問題なんだから。それにリュウさんらしいじゃない」
なぜか胸騒ぎがして落ち着かない。あのリュウが結婚しただなんて・・・。俺はてっきりあいつは生涯独身を貫くと思っていたからだ。それに相手はあの春麗だぜ?
俺はイライザから再び葉書を取り上げて、二人の写真を見た。よく見ると、写真の隅に何か書いてある。
『今度のH.W.Aで会おう』
H.W.A、つまり、〝ヒュージ・レスリング・アーミー″とは、けた外れの巨漢プロレスラー・ヒューゴー率いるプロレス団体のことだ。そこはヒューゴーと対戦して負けたら勝手に傘下に入れられてしまうという、強引なルールを設けている。そんなことで、俺もリュウも、H.W.Aのメンバーにされてしまっていたのだった。
「ちょうど来月にH.W.Aの興行がある。そこでリュウと会えそうだ」
俺は余裕の笑顔でイライザにウインクした。
(しかし、あいつがついに身を固めたとはなあ・・・)
その日から俺は、格闘に人生を捧げたリュウにいったい何が起こったのかが気になって落ち着かない日が続くのだった。
H.W.A興行当日。俺はマスターズ財団役員会議を早めに切り上げて、ラスベガスへと急いだ。会場はすでに観客で埋め尽くされており、熱気と喧騒が渦巻いていた。
スタッフの誘導で控室に通されると、メンバーたちがそろいのTシャツ姿で雑談していた。
「あ! ケンさんだ!」
香港の双子のひとりが、俺の姿に気づいて手を挙げた。そこにはリュウもいた。俺とリュウは、いつものように拳を突き合わせて再会を喜びあった。
「よお、新婚生活はどうだい?」
「えっ!? リュウさん、結婚したんですか!?」
香港ブラザーズは俺の言葉で一様に慌てふためいた。
「相手はなんと、あの春麗なんだぜ」
俺はリュウの代わりに得意げに言ってやった。リュウは照れくさそうに腕を組んでいた。
「マジっすか!? あの超強い女格闘家の春麗さんと・・・!?」
「まさか、毎日修行するために春麗さんと結婚したんじゃ・・・?」
ブラザーズはリュウに詰め寄った。
「ま、そういうことだ」
リュウはそう言って、笑っていた。
・・・なるほど、そういうことか。修行のために結婚したなんて、実にリュウらしい理由じゃないか。ごく単純な答えに納得してしまった。だが、本当にそれだけなのか? 俺は事の真相をリュウ本人から問いたださなくてはならないと改めて思い至ったのだった。
「お聞きください! この歓声! 特設リングが割れんばかりです! 世界最強タッグマッチ王座決定戦、無制限一本勝負の勝者がついに・・・」
実況が口角泡を飛ばしている最中、リングが揺れ動き傾き始めた。
「じ、地震だ!!」
リング上の勝者と審判がリングにしがみついて声をあげた。リングはひっくり返され、下から現れたのは、超巨漢のヒューゴーだった。
「ちょいと邪魔するよっーーー! アタイらは、『H.W.A!』(ヒュージ・レスリング・アーミー)今日からあんたらは、ウチの傘下に入ってもらう。それがいやなら、このヒューゴーを倒していきな! いままで50人チャレンジしたが、今や全員ウチの兵隊さ!」
マネージャーのポイズンが実況からマイクを奪い取って、ひっくり返ったリング上に躍り出た。俺たちの出番はここからだった。H.W.Aの兵隊として全員リング上に飛び出す算段なのだ。
リュウがここで会おうとメッセージを寄こしたから来てやったものの、全米チャンピオンの俺がわざわざベガスまで駆けつけてきてこのざまじゃあ、何とも情けない。思わずため息が出た。
「あーあ、何で俺たちがこんな・・・って、リュウ!?」
「はっはっは、これはいいな! 強そうなのがそろってるぞ!」
(お前・・・けっこう楽しんでないか!?)
今までのリュウと様子が違うことに、俺は戸惑った。
(これも結婚が為せるわざなのか・・・?)
リュウはヒューゴーと仲良くガッツポーズを決め込んでいる。観客からは一斉に歓声が沸いた。この流れでタッグマッチ王とヒューゴーは対決し、筋書き通り51人目の兵隊が誕生したのだった。
興行を終え、俺とリュウは腹ごしらえにベガスの飲食街へと繰り出した。やっと、リュウに結婚の真相を聞ける時が来たと思うと血が騒ぐ。まるでリュウと久々に勝負するかのようだ。俺は単刀直入に切り出した。
「で、春麗といつ結婚したんだ? まったく寝耳に水だぜ」
「ああ、去年の三月、春麗の誕生日に結婚したんだ。ふたりだけで式を挙げたから知らせずにいたんだ。すまなかったな」
「おまえが結婚なんて、どういう風の吹き回しかと思ったぜ」
「ん~、確かにそうだよな。でも、人生ってわからんもんだ。殺意の波動を克服してみて、俺の世界観が変わったんだ」
ウェイターに適当に注文を済ませ、まずは大ジョッキで祝杯をあげた。
「じゃあ、おまえは今、どこに住んでるんだ?」
「日本だ。やっぱり日本がいちばんいいよ」
「そうか・・・。おまえもやっと落ち着いたんだな。で、家はどうした?」
「春麗に道場をつくってやりたかったから、家は建てた」
「『建てた』って、おまえがか!? ローン組めたのか!?(無職だったのに!?)」
俺は身を乗り出して問いただした。
「めんどくさいから現金で買ったよ。家を建てるって、大変なんだな」
思わぬ返答に、俺は言葉を失ってしまった。リュウはそんな俺にかまわず、食べることに忙しい。
「は、はは・・・。そうか、おまえのファイトマネーなら即金で買えるよな」
「公式試合って、なんでももらえていいもんだな。この間はクルマをもらってしまった」
「よ、よかったじゃないか。家庭を持ったらクルマは必要だぜ」
「免許も取ったぞ。ドライブって、あんなに楽しいもんだとは知らなかったよ」
リュウは屈託のない笑顔で言った。俺もつられて笑った。
今まで無名だったリュウが、公式戦を次々に総なめにしていることは、アメリカの格闘技界でももっぱらのうわさだった。しかしこのときはまさかリュウが独身時代と決別していたことまでは知らなかった。
「ケンこそ、マスターズ流通信空手、日本でも普及してるようだな。さすがは有名人だ」
「お、おお! そうなんだよ。はっは! 俺の名前は今や世界レベルだからな!」
俺はいつもの調子を取り戻した。
「通信空手はいいぞ! ネットができるところなら世界中どこでも稽古できるんだ。スカイプって知ってるか? ネットのテレビみたいなもんで稽古ができるというのが売りなんだ。各地に道場を構えずとも通信で指導ができる手軽さだ。それでいて収入も得られるし、いいことづくめだ」
「そりゃあいいな!・・・そういえば、俺も通信で指導を受けてるぞ」
「何の!?」
「仙人のだ。マンツーマンで、タダだけどな。・・・そういえば月謝は払ったほうがいいんだろうか。今度じいさんに聞いてみよう」
ビールを飲んでいた俺は、思わずむせ込んだ。
「仙人だって!? しかも通信って、どういうシステムだよ?」
「う~ん、直接俺の意識の中に声?が聞こえるというか、たまに姿を見せては煙のように消えたりするんだが、時々実戦もやってるんだ。この間は直径2メートルの巨石を担ぎ上げたなぁ」
(おまえ、修行のやりすぎで、とうとうアタマがおかしくなっちまったのかよ!?)
リュウの話の内容がぶっ飛びすぎて、俺は面食らうばかりだった。
「巨石を持ち上げたって、いったいどういう原理だよ」
そこはきちんと押さえておかなくてはならないと思った。
「腕力じゃゼッタイ無理だ。だから元素を操るんだ。意識レベルならそれができる。小さな老人が何人もの大男を軽々と投げ飛ばすというのも、そういう原理だ。俺もまだ仙人のじいさんにはまったく歯が立たん。俺にはまだまだ修行が必要ってことだ」
俺はリュウの言っていることが、マスターズ流通信空手とはまったく次元がちがうことに気が付いてしまっていた。リュウがさらっと言ってのけたことは、今までの常識や価値観では理解できないことでしかなかった。
「技の実戦はないのか? 必殺技とか」
「じいさんには必殺技が通用しないんだ。すべて先に読まれてしまう。だから必殺技の実戦はしない。しいて言うなら・・・」
「しいて言うなら?」
「夜の稽古だな」
「夜の稽古? 暗闇で仙人と何かするのか?」
「いや違う。春麗とその・・・陰陽の氣の交換ってやつだ」
「春麗と氣の交換!? って・・・もしや、セッ・・のことか!?」
リュウはうなずいた。
「仙人直伝の奥義なんだ。奥義だけあって実に奥が深い。欲望ありきではまず無理だ。それと、男は急所を鍛えねばならん。つまり、金的を克服することだ。おまえも鍛えたらいいぞ」
「そんなこと、ゼッタイ無理だろ! ありえねえ!」
俺は思わず大きな声を出してしまっていた。リュウときたら、夫婦の営みまでも修行にしてしまっていたとは・・・。それに、殺意の波動を克服したかと思えば、今度は金的を克服するなんてのたまった。なんてやつだ!・・・しかし俺の興奮をよそに、リュウは俺の反応を見て楽しんでいるかのようだ。
「無理だと思う意識を変えねば何事も為しえない。いちばんの要は、己の意識のあり方だ。・・・とはいっても、俺だってまだまだ欲望はあるし、何十年かかるかわからんが、少しずつ進めたらいいと思ってる」
何となくリュウが向こう側へ行ってしまったような、一抹の距離感を感じてしまっていた。俺の築き上げてきた輝かしい名声、地位、財産といった数々の成功が、リュウを前にしてみるとまったく通用しないことが露呈してしまったようにさえ感じた。
リュウは最初から形ある成功には目もくれず、ただひたすら真の格闘家を目指していた。俺にはリュウの目指す先が見当もつかないことだったし、形もなく見えない何かに真実を求めたこともない。
俺が求めたのは、目に見える物質の世界。目に見えてわかる強さ。誰もが認める地位と名誉だ。それこそが真の強さを量るものさしだと信じてきた。
しかし、リュウは俺とは逆の道を選んだ。つねに形なき真の強さを求めていた。目に見えない、誰もが知りえない、手でつかむことのできない何かを格闘家として追い求める人生を、誰に何と言われようが貫き通した。
だが、家庭をもったら話は別だ。これまでのように、自分だけの人生を生きていくわけにはいかない。俺はリュウの本心を確かめてみたいと思った。
「なあ、リュウよ、おまえはどこまでも修行のために生きていることはわかった。ただ、おまえが真の格闘家になることで、春麗を本当に幸せにしてやれるのか?」
リュウは俺の目を見た。
「ケン、おまえが俺たちのことを気にかけてくれていることをありがたく思ってるよ。なんせ、俺は長いこと根なし草でいたからな」
ナイフとフォークを置いて、リュウは言った。
「シャドル―壊滅作戦のときに、俺は春麗に愛を教えてもらった。それは男女の愛を超えたものだ。この世界も形のない世界も、すべてが愛だとわかったんだ。自我を解き放てば愛しかなかったことに気づいたんだ。この拳で追い求めていたこともすべてだ」
リュウは拳を握りしめた。まるで新境地にたどり着いたかのように落ち着き払っている。愛の為せるわざというのなら、確かにそうなのに違いない。しかし男女の愛をはるかに超えた「愛」にたどり着いたというのなら、リュウは悟りに到達したといえるのだろう。
「それが、おまえの答えだったんだな・・・」
確信に満ちた表情でリュウはうなずいた。
「ケン、俺は自分の修行だけのために春麗と結婚したんじゃないぞ。春麗を本当に愛しているから結婚を決めた。俺は毎日、春麗と幸せに暮らすことを心掛けているよ。修行も楽しいしな」
そうだった・・・。リュウはいつだって、自分の決めたことにひたすら邁進する男だった。リュウの本心を聞いて、俺の懸念は一瞬にして吹き飛んだのだった。
(そうだな・・・。おまえのことだ、必ず春麗と添え遂げるだろうよ)
人生の伴侶を得たリュウは、今後とてつもなく強くなっていくにちがいない。
「俺も、リュウに追い越されないようにがんばらないとな。まったく気が抜けねえよ」
「ケン、久々におまえと会って、やっぱりすごいやつだとつくづく思ったよ。まだ三十そこそこの若さで家庭だけでなく、社員や世界中にいる弟子たちのために責任を果たしている。大勢の生活を守っていくことは、並大抵のことではない。俺が守っているのは嫁さんひとりだけだ。俺はまだまだだってことが、よくわかった」
(リュウ・・・おまえってやつは・・・)
俺はこのとき、リュウが昔とちっとも変わっていなかったことを思い知った。
「いや、リュウなら、その気になればこれくらいのことなど、いとも簡単にやってのけるさ。それに、俺にできないことをおまえならやり遂げられる。思い切りやってみろ! 俺もおまえの行く先をこの目で見届けたいしな」
「ああ、必ず成し遂げてみせる。いのちある限りな!」
俺たちは正反対の生き方をしていても、相手がいてこそ自分の立ち位置がわかるものなんだと改めて感じた。俺にはリュウの生き方はできないが、その道を極めたときを見てみたい。そのとき、俺はどんな人生を生きているだろう。
店を出ると、冷たい風が頬を打った。それが火照った体にはちょうど心地良かった。
「いつまでここにいられるんだ? せっかくここまで来たんだから、うちへ寄って行けよ。イライザとメルもおまえが来るのを心待ちにしてるんだぜ」
「ありがとう。イライザとメルには俺も会いたい。でも今晩の飛行機で帰る。春麗は身ごもったばかりなんだ。そばにいてやらないとな」
「そうか・・・! おまえも父親になるのか・・・。子どもはかわいいぞ。生まれたらすぐに教えろよ! 春麗にもよろしく言ってくれよな。元気な子を産んでくれよって」
「ああ! イライザとメルにもよろしく伝えてくれ」
俺たちは拳を突き合わせて再会の約束をしたのだった。
「そうだったの・・・。リュウさん、春麗さんと結婚してレベルアップしたのね。それにふたりの赤ちゃん、楽しみだわ」
イライザは、俺の報告を聞くと安心したように言った。
「ねえ、わたしたちも、もうひとりがんばりましょうよ」
「そうだな。メルもそろそろ兄弟が必要だしな」
俺はイライザを抱き寄せた。
「パパーっ、ぼくね、パンチの練習、いっぱいしたんだ!」
メルが走り寄ってきた。この間買ってやったグローブをはめて目を輝かせている。
「おお、そうか! じゃあ、パパと勝負するか!?」
「うん!」
「さあ、来い! メル! 思いっきりだ」
息子の初パンチを、体全体で受けとめてやるつもりだった。そのとき!!
「ぐはっ!」
「キャーッ、ケン」
俺はうずくまって悶絶してしまった。メルのパンチが見事に俺の股間に炸裂したからだった。
「お父さんになんてことするの! メル!」
イライザが叱りつけている意味もわからずに、メルは大はしゃぎで喜んでいる。
このとき、遠のいていく意識の中で、リュウの言葉が俺の脳裏を駆け巡っていたのだった。
(・・・金的を克服することだ・・・)
「メル! YOU
WIN!」