リュウと春麗の神隠し その5

日本の魂を一手に担うリュウさんの新たなる王道を解き明かして参ります


 

過去記事から読まれることをお勧めします その1 その2 その3 その4 

 

 

リュウさんというキャラは本来、格闘ゲームの主人公であってあくまでも画面上で自由自在に動いてくれるキャラクターに過ぎません。

 

 

それなのに、なぜキャラの暗号解読やら小説やらを書いてきたかといいますと、キャラに与えられたプロフィールとイラスト、そして公式の映画や物語(ゼネラルストーリー)から不可視的情報を振動波受振してしまったからです。

 

 

いわゆる直感です。『波動の法則』に基づいて「直観ー決心ー実践ー体験ー検証」の繰り返しでここまでまいりました。

 

 

それをHP上に記し続けてまいりましたが、まさか日本の歴史の根幹である日本の神様にまでたどり着くとは夢にも思いませんでした。

 

 

改めて申し上げますが、拙サイト記載の情報はあくまでも筆者の印象であり、主義主張をするものではございません。リュウと春麗の神隠しをシリーズで書いております。

 

 

まだお読みでない方は先にこちらをお読みくださいませ。「暗号解読」「暗号解読

 

 

さて、やっと本題に入らせていただきます。ここから先は筆者の個人的体験を交えまして記させていただくことをどうぞお許しください。

 

 

 

筆者、「でんぼの神様」に呼ばれる。


 

筆者は2017年7月30日に、ふと生まれ育った地であり遊び場所であった石切神社に呼ばれたような気がして、夕方だったのにもかかわらず久しぶりに行ってみようと思いました。生駒山のふもとに神社はあります。

 

阪神高速東大阪線 水走出口(筆者撮影)
阪神高速東大阪線 水走出口(筆者撮影)

 

石切神社は筆者の子供のころの遊び場でした。ここは「でんぼの神様」として有名で全国からお百度を踏みにたくさんの方が来られます。でんぼとは腫れ物やできもののことで、今ではがんを治したい方々がたくさん来られています。筆者はお百度石のまわりで鬼ごっこをしていたりしてこの境内をよく駆け回っていました。それでよく叱られました。今思うと、なんとバチ当たりな・・・。(スミマセン!)

 

石切劔箭神社 (筆者撮影)
石切劔箭神社 (筆者撮影)

 

車で参拝すると、道路にそびえたつ鳥居が出迎えてくれました。

 

石切劔箭神社 (筆者撮影)
石切劔箭神社 (筆者撮影)

 

この門の左右に像があります。お寺だったら仁王様ですが、ここは神様がましますのです。

 

石切劔箭神社 (筆者撮影)
石切劔箭神社 (筆者撮影)

 

向かって左側にまします神様です。弓と矢を持っておられます。こちらがでんぼの神様。

 

石切劔箭神社 (筆者撮影)
石切劔箭神社 (筆者撮影)

 

こちらは向かって右の神様です。剣を持っておられます。こちらはでんぼの神様の息子さんです。筆者は子どものころ、この神様がとてもかっこいいと思っていました。たこやきを食べるときは、いつもこの神様の前が筆者の指定席でした。

 

石切劔箭神社 (筆者撮影)
石切劔箭神社 (筆者撮影)

 

親子の牛さんだ~。

 

石切劔箭神社 (筆者撮影)
石切劔箭神社 (筆者撮影)

 

何気に碑が立っていました。こういう存在物は気を付けないとスルーしてしまいます。近づいてみました。

 

石切劔箭神社 (筆者撮影)
石切劔箭神社 (筆者撮影)

 

達筆すぎて碑文は読めませんが、東洋思想家の安岡正篤(やすおかまさひろ)先生だとわかりました。昭和天皇の玉音放送の台本を書いた人物であり、平成の元号の考案者です。表で動いた裏天皇であり、政界財界人を指導された昭和最大の黒幕でした。

 

https://www.amazon.co.jp/%E5%AE%89%E5%B2%A1%E6%AD%A3%E7%AF%A4%E4%B8%80%E6%97%A5%E4%B8%80%E8%A8%80-%E5%AE%89%E5%B2%A1-%E6%AD%A3%E7%AF%A4/dp/4884747461/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1506181419&sr=8-1&keywords=%E5%AE%89%E5%B2%A1%E6%AD%A3%E7%AF%A4%E4%B8%80%E6%97%A5%
安岡正篤先生の著書(筆者私物)

 

安岡先生の旧宅は筆者の生まれ育った地の近所なのです。しかも、安岡先生の通っておられた四條畷中学校(今でいう高校)は、筆者の引っ越した先とまたもやごく近所なのでした。安岡先生の本は毎日読んでいました。「木鶏」の境地は安岡先生の本から教わりました。(余談おわり)

 

石切劔箭神社 (筆者撮影)
石切劔箭神社 (筆者撮影)

 

着いたらお祭りでした。「うわ~なつかしい~!」一気に子供のころに戻ってしまいました。ふと立ち寄った時にお祭りだったら、神様に呼ばれたサインだと何かで読んだ覚えがありました。筆者はでんぼの神様に呼ばれたんだと思いました。

 

 

筆者にとって、石切さんは「でんぼの神さん」以外、何も知りませんでした。ここはいつも人がたくさんいて賑わっていました。だから他のひっそりした神社とは何か違うと思っていました。きっとここの神様は人が集まってくることが好きなんだと思っていました。そして子どもが境内で遊ぶこともお許しくださっていたのだと思います。子どものころは白い神馬にえさやり(当時40円)とか、パンの耳を持ってきて鳩さんや亀さんにあげたりしていました。今は神社の鳩さんも少なくなりましたね。

 

石切劔箭神社 (筆者撮影)
石切劔箭神社 (筆者撮影)

 

境内には若衆がたくさんいました。子どものころはお祭りは女の子ははっぴも着せてもらえなくて男の子がうらやましかったことを思い出しました。

石切劔箭神社 (筆者撮影)
石切劔箭神社 (筆者撮影)

 

河内のふとん太鼓です。龍のデザインが凝っています。いつも秋祭りは学校が半日で終わってお祭り一色でした。夜になってから各地区からおみこしが一斉に境内に集結する場面は壮大でした。

 

石切劔箭神社 (筆者撮影)
石切劔箭神社 (筆者撮影)

 

久しぶりにここへ呼んでいただいたこと、そして子どものころから守ってくださったことをでんぼの神さまに感謝申し上げました。もちろん今までの悪行も深くお詫び申し上げました。

 

石切劔箭神社 (筆者撮影)
石切劔箭神社 (筆者撮影)

 

ご神木です。子どものころこの木に登りたかったのを思い出しました。今思えばなんと無謀な・・・。

 

石切劔箭神社 (筆者撮影)
石切劔箭神社 (筆者撮影)

 

お祭りが始まりました。おみこしは最初に神様に参拝してから地元の地区へと巡回していきます。「チョーサ!」の掛け声を聞くと血が騒ぎます。(上の動画は筆者が撮影したものです)

 

石切劔箭神社 (筆者撮影)
石切劔箭神社 (筆者撮影)

 

すぐ横に、祠のある池に気が付きました。なつかしいな~。ここは筆者が近所の子らを引き連れて、この中でザリガニ釣りをしたところです。亀さんにもパンの耳をあげていました。

 

石切劔箭神社 (筆者撮影)
石切劔箭神社 (筆者撮影)

 

でも待てよ? ここって禁足地じゃないの!? 実は小4までここに入ってザリガニ釣りをしていたのです!ここはザリガニがよく釣れたのです。今思うと、何たるバチ当たりなことをしていたのだろうと驚愕します。

 

石切劔箭神社 (筆者撮影)
石切劔箭神社 (筆者撮影)

 

当時ここで遊ぶことを注意してくださった方もおられたと思います。しかしよくもまあ平気で禁足地に入れたものだと思います。子どものすることとはいえ、本当に恐れ多いことです。

 

石切劔箭神社 (筆者撮影)
石切劔箭神社 (筆者撮影)

 

いつもここの神様の中に入って遊ぶときは、手を合わせていたような覚えがあります。遊んだあとは、必ずごみを持ち帰って神様に失礼のないようにしていたつもりでした。そして手を合わせてお礼を申し上げていました。ともかく、水神社の神様にこれまではたらいてきた数々のご無礼を深くお詫び申し上げました。

 

 

そして帰宅したのでした。帰ってから、石切さんのことを調べてみました。そしたらなんと!!

 

http://www.ishikiri.or.jp/
石切剣箭神社さまHPより

 

ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ でんぼの神さんは「にぎはやひのみこと」だったなんて・・・し、知らんかった・・・。ホンマに知らなかったのです。かのニギハヤヒだったとは・・・。

 

石切劔箭神社 (筆者撮影)
石切劔箭神社 (筆者撮影)

 

じゃあ、この「でんぼの神さん」がニギハヤヒ・・・!? 筆者、絶句。手に持っておられるのは天孫に相違ない徴(しるし)である「天羽羽矢(あまのははや)」と「歩靫 (かちゆき)」でした。

 

 

それで、水神社の神様を調べてみたら、なんと! 罔象女神(みつはのめのかみ)さまであり、天水分神(あめのみくまりのかみ)との二柱の神様の正体はかの瀬織津姫さまだった!! ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ。

 

 

そして境内の隅にあった謎の石さん・・・。これって・・・!?

 

石切劔箭神社 (筆者撮影)
石切劔箭神社 (筆者撮影)
ストリートファイターⅢ3rdエンディングより
ストリートファイターⅢ3rdエンディングより

 

はじめてこのイラストを見たとき「なぜにリュウさんは巨石を持ち上げている?」と思ったときに、天孫降臨の巨石がひらめいたのでした。筆者にとって天孫降臨の地といえば、磐船神社でした。

 

磐船神社 (筆者撮影)
磐船神社 (筆者撮影)

 

筆者は小5のときに大阪府四條畷市に引っ越しました。磐船神社はそこからとても近いところにありました。ここに来るのも久しぶりです。

 

磐船神社 (筆者撮影)
磐船神社 (筆者撮影)

 

巨大な磐座(いわくら)に圧巻です。ニギハヤヒはこの天の磐船に乗ってご降臨されたのでしょうか。

 

 

ニギハヤヒは高天原より十種の神寶(とくさのかんだから)を携えてこの地にご降臨されました。もともと大和にいた豪族ナガスネヒコはニギハヤヒによってもたらされた稲作や製鉄の道具、織物などによって、さらに豊かな生活の礎を築くことができました。ナガスネヒコは一族こぞってニギハヤヒに帰順したのでした。こうして平和で豊かで人々がしあわせだった最強の古代大和を建国されたのです。

 

天野川 (筆者撮影)
天野川 (筆者撮影)

 

天野川です。この奥に岩窟めぐりの巨石がごろごろしています。この川の主流は護岸工事が成されていて今はダムのようになっています。

 

 

磐船神社に来たのなら、岩窟めぐりをしてこそのご参拝です。岩窟めぐりは巨石の隙間を潜り抜けるのですが、巨石の下は天野川が流れていてかなり難所です。大人の男性は体が大きいので大変です。暗闇の岩場をくぐりますのでご高齢の方はやめておいたほうがいいかもしれません。今は安全のために二人以上でないとくぐれないようになっています。

磐船神社 岩窟修行パンフレット
磐船神社 岩窟修行パンフレット

 

上はいただいた岩窟めぐりのパンフレットです。数々の難所をクリアーしなければ地上に出てこられません。古くは生駒修験の霊場として栄えたいわれがあるとおり、修行に来たような思いになります。そして生まれ変わったような気持ちになります。岩窟めぐりをしなければ天の岩戸にたどりつけません。巨石好きさんはチャレンジしてみてはいかがでしょうか? 

 

磐船神社 (筆者撮影)
磐船神社 (筆者撮影)

 

天照国照彦天火明奇玉饒速日尊(アマテル クニテルヒコアメノホアカリ クシタマ ニギハヤヒノミコト)

 

 

言霊と音霊の響きでこれほど魂に響き渡るお名前の神様はほかにおられないのではないでしょうか。そしてこれほどおやさしくて徳の高い神様はこの神様のほかにおられないと思いました。

 

 

持統天皇が改竄した天照大神(女神)のお名前とは格の違いが明らかです。

 

 

天を照らし、国を照らす男神さま。

 

天に明るく輝く太陽の神様。

 

荒魂(あらみたま)と対である和魂(にぎみたま)であり、奇魂(くしみたま)であられる神様。

 

そして速日は、彗星。

 

 

荒魂の瀬織津姫さまとのツインであられるしるしがお名前に隠されていたのですね。

 

一霊四魂という考えがあります。それぞれ意味がこめられています。

 

 

 

勇 - 荒魂(あらみたま)

「勇」は荒魂の機能であり、前に進む力である。勇猛に前に進むだけではなく、耐え忍びコツコツとやっていく力でもある。行動力があり、外向的な人は荒魂が強い。
親 - 和魂(にぎみたま)
2つ目の魂の機能は和魂であり、親しみ交わるという力である。その機能は、一字で表現すれば「親」である。平和や調和を望み親和力の強い人は和魂が強い。
愛 - 幸魂(さきみたま、さちみたま)
3つ目の魂は幸魂であり、その機能は人を愛し育てる力である。これは、「愛」という一字で表される。思いやりや感情を大切にし、相互理解を計ろうとする人は幸魂が強い人である。
智 - 奇魂(くしみたま)
4つ目は奇魂であり、この機能は観察力、分析力、理解力などから構成される知性である。真理を求めて探究する人は、奇魂が強い。(ウィキペディアより)

 

 

ニギハヤヒと瀬織津姫さまは互いを抱きしめるように四魂それぞれをらせん状に紡ぎ合っているかのようです。 

 

 

これを書いていて眠くなって寝ていたら、ニギハヤヒが夢でサインを下さったような気がして目覚めました。時計を観たら「11:11」でした。

 

 

2017年9月17日 台風18号
2017年9月17日 台風18号

 

天の岩戸にお隠れになっておられた真の太陽の神様は長きにわたり人類の混迷の時代をお見守り、お待ちくださいまして、このたび新たなる時代の幕開けをスタートされる。わたしはこのときを、ずっと楽しみにしていたことを思い出しました。

 

わたしたちがすべきことは、ごく普通の日常生活を感謝と愛で満たして、心と言葉と行いの汚れを落とすことだけです。

 

 

2017年9月23日は秋分の日です。自我意識(旧領域)と統合意識(次世代領域)の次元界の分水嶺。

 

 

太陽の中心が秋分点を通過し、日の出・日の入りは真東・真西になり昼夜の長さが等しくなるのが秋分の日。縄文文明は太陽信仰でした。古代の日本人はこの日をとても大切にしていました。秋分の日を境に真の太陽神が天の岩戸からおでましになって新たなる時代が始まるのだと思いました。今回のアップは2017年9月24日です。

 

 

そして瀬織津姫さまは、このような形で現れてくださいました。

 

2017年9月22日放映「崖の上のポニョ」より
2017年9月22日放映「崖の上のポニョ」より

 

秋分の前日、2017年9月22日によみうりテレビで「崖の上のポニョ」が放送されました。この予告は台風18号さんがまっしぐらに日本列島を縦断された日に放送されまして、筆者はピンと来ておりました。

 

 

瀬織津姫さまは荒魂ですから、洪水や津波が来るたびにこの地球上を浄化されておられるのだなあ、どんな困難を伴おうともそれも自分が発した波動の結果が現象化しているのだなあ、汚れを洗い流し清めてくださっているのだから感謝しないといけないなあ、と思います。

 

 

そしてもうすぐ一つの文明をリセットされるのかもしれないタイミングに存在させていただいていることは、この上なくありがたいことだったのだなあ。自ら望んでこの次元界に誕生させていただいたのだったなあ、としみじみ思うのであります。

 

 

2017年4月2日にアップした暗号解読・レベル9で直観を得てニギハヤヒと瀬織津姫さまについてはじめて書きましたが、そのころには同調できずにいた情報層に今回は同調することができたのだなあ、と振り返ってみて感慨深く思いふけっています。みなさまも、約半年前に書いたこのページを再度ごらんになってみてください。何かが感じられると思いますよ。

 

暗号解読・レベル9